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広瀬栄一コレクション拓本6-191●昭和42年 南都 十輪院石仏龕正面釈迦弥勒拓本 2枚 奈良市 保護新聞紙付 240520

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    開始日時 2024.06.03(月)22:46
    終了日時 2024.06.10(月)22:46
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商品説明

十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。寺伝によりますと、当山は元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられています。


わが国では非常にめずらしい石仏です。龕(がん)とは仏像を納める厨子を意味します。すべて花崗岩の切石を用いて築造されています。龕中央に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。そのほか、仁王、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔、あるいは観音、勢至菩薩の種子(しゅじ=シンボルとなる文字)などが地蔵菩薩の周りに巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界を具現しています。龕前には死者の身骨や棺を安置するための引導石が置かれています。また龕の上部、左右には北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿の星座を梵字で陰刻し、天災消除、息災延命を願う現世利益の信仰も窺い知ることができます。引導石の左右には南都仏教に伝統的な「金光明最勝王経」「妙法連華経」の経幢が立てられています。この石仏龕は当時の南都仏教の教義を基盤に民間信仰の影響を受けて製作されたもので、めずらしい構成を示しています。大陸的な印象を受ける技法で彫刻されていることも注目されます。出典:十輪院ホームページ
十輪院(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある真言宗醍醐派寺院[1]山号は雨宝山[1]本尊は石造の地蔵菩薩江戸明治期の町並みが残る奈良町の一角に位置する。
元は大寺院だった元興寺の子院である。寺伝によると奈良時代右大臣吉備真備の長男とされる朝野宿禰魚養が、元正天皇の旧殿を拝領し創建したと伝わる[1]。その後、弘仁年間(810年 - 824年)には弘法大師が留錫したという[1]。朝野魚養は能書(書道の名人)とされ、空海の書の師ともいうが、伝記のはっきりしない人物である。十輪院については、『大和名所記(和州旧跡幽考)』のような近世の地誌類には弘法大師の創建とも伝え、創建の正確な時期や事情については不明である。
「十輪院」の名称の文献上の初見は、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている[注釈 1][1]十輪院の寺名は、『地蔵十輪経』に拠ったものと考えられている[1]。現存する本堂、石仏龕(せきぶつがん)、東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており、鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。
中世以降は庶民の地蔵信仰の寺として栄えた。室町時代から天正13年(1585年)までは院領300石を領したが、豊臣秀長に没収され、また兵乱により堂宇宝物なども大きく被害を受けた[1]。しかし慶長7年(1602年)に、徳川家康より添上郡肘塚町・法華寺町内に寺領50石の寄進を受け[2][3]、本堂、石仏龕の修復などが進み、一般大衆の地蔵信仰の高まりと相まって次第に寺勢は興隆した[1]
明治維新後は校倉造の宝蔵を手放すなど、一時寺勢は衰えたが、1955年昭和30年)に本堂・南門の文化財としての解体大修理が行われ、以降1962年(昭和37年)に不動堂の修理、1976年(昭和51年)に御影堂の解体修理と続き、境内が整っていった。
出典:ウィキペディア
広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。
台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。

拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。
拓本が取れるという広瀬氏の人脈に驚嘆します。
拓本もまた文化財だと思います。
保護新聞紙は、昭和41年4月30日付 いはらき です。

多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。

写真にあるスケールは全長17㎝です。
サイズは39.3×132㎝です。
状態は経年によるシミヤケや破れがあります。
発送は追跡可能なクリックポストかゆうパック80サイズを予定しています。
東北関東東海信越北陸地区の場合1200円です。

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