モーリッツ・アルブレヒト・フランツ・フリードリヒ・フェードア・フォン・ボック(Moritz Albrecht Franz Friedrich Fedor von Bock)元帥は、1939年の第二次大戦開戦時のポーランド侵攻では北方軍集団司令官、1940年の西方電撃戦ではB軍集団司令官として指揮を執りました。1941年のバルバロッサ作戦では中央軍集団司令官としてミンスク、スモレンスクを攻略します。ボック麾下の軍団はモスクワまで僅か30kmまで攻め込みますが、赤軍の激しい抵抗を受け、また冬将軍の猛烈な寒波によって攻撃が停滞したところ、ヒトラーによって司令官を解任されました。1942年1月にヴァルター・フォン・ライヒェナウ元帥の後任として南方軍集団司令官に任命されますが、再度ヒトラーと対立して解任されました。1945年4月のヒトラーの自殺後、デーニッツの要請により、連合国との停戦交渉の任に当たることになりましたが、1945年5月の終戦直前にドイツのキール近郊で乗用車が英軍機の機銃掃射を受けて死亡しています。