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★Freeway★c1993 ウェッジウッド「ワーズワース」ジョージアン・コレクション。レアな文豪シリーズ。プレートは元々無し。コレクター向き

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商品説明


c1993 Wedgwood “Wordsworth” (Georgian Collection)


ウェッジウッド
「ワーズワース」ジョージアン・コレクション


1993年製の英国詩人のシリーズ

木の実をデザイン。マイカップにグッド!

ロマン派詩人ウィリアム・ワーズワース

コールリッジ・シェリーら5人で


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 ウェッジウッドが1993年から1994年に学者・詩人を顕彰して、「ジョージアン(Georgian)コレクション」というシリーズを作りました。それぞれデュオのみという小さな商品。
 ポットやからのプレート類を備えた「ウィリアムズバーグ」シリーズに比べるとミニですが、ウェッジウッドが「20世紀のわが社を代表するカップ」と自認する「ウィンザー・シェイプ」を使い、それぞれ「木の実」をモチーフに作っています。老若男女を問わず使えそうな雰囲気がある、「マイカップ」に持って来いという感じ。それぞれ1年しか作られておらず、あまり知られぬ佳作です。
 
 出品品は通常のウェッジウッドの紙箱よりやや濃いブルーの箱に入った未使用品です。箱に傷はなく、何とかプレゼントに使えそうなので、一緒にお送りする所存。
 
 出品者はこうした新しい廃版品はトリオでないと出品しない主義ですが、これはデュオしか作られていないので出品します。一度、全種を集めたことがありますが、種類が少ない割に全種収集は極めて困難。「マイカップ」として使いながらゆっくり集めると、3種類くらいはどうにかなると思います。

 デュオでは写真も色々撮れない。木の実と詩人たちには関連はなさそうだから、欠けることもない。そこで主人公のワーズワースについて長めに紹介してお茶を濁したいと思います。
 
 カップの高さ6cm、口径9cm。ソーサーの直径は14.5cmで、深さが2.5cmあります。新品からストックされた未使用品。

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ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770年4月7日 - 1850年4月23日)
 イギリスの代表的なロマン派詩人。湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。
 同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集はコールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年に73歳で桂冠詩人となり、1850年に亡くなった。
 桂冠詩人 イギリス王室の属員として給料を受け,国家王室の大事に際して,慶弔の詩を詠むことを任務とする詩人の称号。元来はすぐれた詩人に対して,オックスフォード,ケンブリッジ両大学から与えられる称号であったが,17世紀に宮廷詩人をさすものに限定された。
 ワーズワースは1770年、北西イングランドの「湖水地方」と呼ばれる風光明媚なコッカマスに、5人兄弟の第2子として誕生した。1778年、母の死去と共に、ワーズワースの父は彼を学校へと送るが、法律家であった父もまた1783年に世を去る。ワーズワースは孤独な少年時代を送るが、自然の美しさが彼の心の慰めとなった。
 1787年、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに入学する。1790年、フランスに渡り、フランス革命の熱狂のなかで革命を支持したが、「革命」の名のもとに民衆が行った蛮行(九月虐殺)の惨状を見て、後年は保守的に傾いていった。また、フランス人であるアネット・ヴァロンと恋に落ち、彼女はワーズワースの娘を1792年に出産するが、彼はその前に経済的理由などからイギリスへと一人で帰国する。翌1793年始めにルイ16世の処刑と英仏間開戦があり、ワーズワスは渡仏も結婚もできなくなる。彼らはその後10年間会うことはなかった。
 1795年、彼はサミュエル・テイラー・コールリッジと出逢い、二人は意気投合して親友となる。1797年、妹ドロシーと共にコールリッジの住居のすぐ近くに転居する。1798年、ワーズワースとコールリッジは『抒情民謡集(Lyrical Ballads)』を共同で著し、出版する。英国ロマン主義運動において、画期となる作品集であった。
 1798年から1799年にかけての冬、ワーズワースはコールリッジ、ドロシーと共にドイツに旅行する。兄妹は間もなくコールリッジとは別れる。ワーズワスは精神の圧迫にもかかわらず、後に『序曲(The Prelude)』と題される自伝的作品を書き始め、また『ルーシー詩篇』を含む多数の代表的な詩を書く。
 イギリスに帰国したワーズワースは、1799年12月に湖水地方のグラスミア湖近くに居を構える。後にダヴ・コテージ(Dove Cottage)と呼ばれる現存の住宅である。翌年S. T. コールリッジとロバート・サウジーもすぐ近くに転居してくる。三人は「湖水詩人」として知られるようになる。
 しかしこの時期、ワーズワースが書いた詩の主題は、自然を愛でたものだけではなく、時事的なもののほか別離、忍耐や悲しみに関するものも多くあった。
 1802年、アネットと娘カロリーヌに会うため、ワーズワースは妹ドロシーと共にフランスに旅行する。この年の後半、ワーズワースは幼なじみであったメアリー・ハチンソンと結婚し、翌年、メアリーは第一子ジョンを出産する。ドロシーは、兄とその妻のもとで同居を続けた。
 1813年、ロンズデール伯爵ウィリアム・ラウザーより印紙販売官に任じられ、年収400ポンドの官職を得、終生の地となるライダル湖畔の丘にあるライダルマウントの広大な土地に邸宅を構え、移住した。ワーズワースの父は先代のロンズデール伯爵の事務弁護士を長年務めていたが報酬が未払いとなったまま両者とも死去していた。こちらの負債問題も解決しワーズワースは経済的に安定した。若手ロマン派詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーらは、体制派のジェントルマン階級となり邸宅暮しをしたワーズワスースを堕落したとして批判した。
 英国ロマン派の詩には、鳥を主題とした作品が多く佳作が多い。ワーズワースにとって、「郭公」(Cuckoo) は詩の霊感をもたらし、彼に生きることの喜びを教。えてくれる鳥でもあった。ワーズワースは、「郭公に献げる辞」を作詞している。
 ワーズワースは多くの警句を残している。

 「言葉。それはその人の魂を表す」
 「間違ってしまったら言い訳をしている時間があるなら正しいことを一つした方が早い」
 「人は深く悩むことによって人格を獲得する」
 「人の一生において最善のものはなにか。それは誰の目にも止まらず、誰の記憶にも残らない」

ほかにもたくさん出品しています。ぜひご覧ください。


+ + + この商品説明は オークションプレートメーカー2 で作成しました  + + +
No.108.001.002

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