(9*)Tomy Newport Beach USA Train ノベルティー(非売品) ミックス色 銀、濃黄、薄黄色

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    開始日時 2024.03.22(金)11:10
    終了日時 2024.03.24(日)20:10
    オークションID w1129627905

商品説明

ご覧頂きありがとうございます。
今回の商品は以下の通りです。

(8*)Tomy Newport Beach USA Train
ミックス色( 銀 x 1 + 濃黄 x 1 + 薄黄 × 1)

★ご提供セット内容:
濃黄色 (3両編成) x 1セット
薄黄色 (3両編成) x 1セット
銀 色 (3両編成) x 1セット
合計 9両編成

★状態: 本ノベルティーはPレール商標で販売はされていませんが、Tomy 同等の高品質派生品です。未使用ですが梱包箱と養生プラ袋を慎重に開封後、動力車にバッテリーを入れ、モーターの作動テストは実施済みです。

★セット内容:

1. ボディ: ライトイエロー ☆
客窓枠 : 紺
ヘッドライトシール : 紺
車輪 : 赤
特急マーク: はつかり
3車両 x 1セット

2. ボディ: ダークイエロー☆
客室窓枠 : 紺
ヘッドライトシール : 紺
車輪 : 赤
特急マーク: はつかり
3車両 x 1セット

3. ボディ: シルバークローム☆(限定希少)
客室窓枠 : 黒
ヘッドライトシール : 黒
車輪 : 濃緑
特急マーク: はつかり
3車両 x 1 セット

★2001年10月14日に発売された583系「寝台特急」、その後に続く「JR西日本スペシャルセット内 583系 特急きたぐに(2002)」、「歴代つばめスペシャルセット内 583系 つばめ(2006)」、で採用された同等の金型仕様、タイランド製、2 スピードモーター、カラーバリエーション版で、発案者殿の希望により、1970年~1980年代に発売されたEC04モデル(前スイッチ)の基本デザインを理想とした「復刻版」として、今はなき米法人が自社製品販売記念を祝う為に発注したノベルティーグッズ、非売品です。 米企業が取引先に贈呈したノベルティー商品ですが、ベースになっているのは、以前日本で販売されていたPレール「583系寝台特急」の派生モデルです。製造ロット数が非常に少ない特別シルバークロームをセットとしていれています。

★このノベルティーは、21-23年前に製造されました。外層箱に輸送による多少のキズ、歪み、汚れがあります。米国内の保管施設で大切に保管されていましたので、中身は新品同様です。いかんせん「新古車」である為、基本ノークレーム、ノーリターンでご了承下さい。製造当時の品質を保つべく大切に保管を試みておりますが、万一作動不良が発見された場合には代替品を無償供給させて頂きます。

★商品は通常のPレール3車両が収納される同サイズ箱(x 3個)にそれぞれ入っておりますが、写真、イラストはないジェネリック箱(白)となります。本オークション 写真撮影に使った車両とは別物(養生プラ袋から取り出し駆動モーターテストのみ行った製品)をご提供致します。

★583系をこよなく愛したノベルティー発案者殿よりこの度貴重な個人コレクションを譲り受けた為、一部を出品致します。

★当時これらノベルティーグッズが配られたのは、2001/9/11のテロ行為の直後のクリスマスシーズンでもあった為、連帯結束感があった当時のアメリカでは、「星条旗」カラーとして多くの関係者に大変喜ばれたました。

★2001年は、ライトイエロー、2002年は、ダークイエロー、そして2003年はシルバークロームのノベルティーを受け取った取引先では、Pレール自体を知らない人が殆んどであった事と、予算的にブルーのレールが付属されていなかった事により、どう扱って良いかが分からず、仕方なく床に直接転がして遊んだと言う笑い話も残されています。

★遡る事1997年頃、某レール雑誌のセンセーショナルな特集記事では、とあるコレクターが座敷を借りきって、「芸術」と言って良いほど素晴らしいレイアウトの中で、昭和のP レール車両(今は絶版モデル)を見事に走らせていたシーンが紹介されていました。

多くの珍しい「昭和型」車両の中にあったのが、今では幻の583系「寝台特急」でした。この記事を多くの方がご覧になり、通称「月光特急」のデフォルメ化された可愛らしいフォルムとその色使いに惚れ込んでしまったと思います。その「食パン型」ボディとカラーリングが兎に角たまらなく恋しい。欲しくても、もう手に入らないのだろうか?もしかしたら何処かで手に入るのでは、と期待が脹らみましたが、時既に遅し、入手は極めて困難でした。その頃から583系の旋風が巻き起こり、発案者殿の心にも火が着いたそうです。そんな矢先、2001年10月14日「鉄道の日」に待望の「復刻版寝台特急」が発売されました。
より実車の塗装に近い復刻カラーであったため、オリジナルをイメージしていた一部のファンは、少々がっかりしましたが、いずれにせよ、今出ているリアルクラスのように大変センセーショナルな出来事で有ったと回想されていました。

★583系「月光特急」を喉から手が出るほど欲しい!70ー80年代に今からでもタイムスリップして手に入れたい!何故当時買わなかったのか後悔している!そういう方は今でも沢山いらっしゃると思います。

★ノベルティー発案者殿もその中のひとりで、「もう買えないのであれば、作るしかない」と前向きな姿勢で取り組まれたそうです。

★売り文句ではありませんが、日本製583系寝台特急「買えなかった難民」を救済すべきこの派生モデルが今回必ず救世主となってお役に立てると思います。

★発案者ご自身が学生時代に583系寝台特急で幾度も帰省された思い出をこのような形に残したかったのかもしれません。

★昭和の日本製「寝台特急」派生モデルを是非手に取ってあの頃の思い出をもう一度実感してください。

★商品は大阪より全国に発送致します。

★落札者様は必ず72時間以内に御連絡をお願い致します。

ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。

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製造秘話(超長文で恐縮です。海外日系企業の歴史的背景及び当時の日本人駐在員(ノベルティー発案者含む)が体験したUSA現地文化(南部特有)、メーカー営業マンとしての苦労話となります。ご興味ある方はお読み頂けますと幸甚です。

1. The USA COMPANYの始まり

コットン生産地で有名な米国A 州に拠点があった日系家電メーカー T 社 G 工場 では、2001年第三四半期に累計3千万台の家電出荷を前にし、人口2万人のこの小さな街は祝賀ムードで賑わっていた。

G 工場は、遡ること数十年前、当時の州知事で後の米大統領の手厚い後押しもあり、米国大手量販店 WA○MART(以下W社)に販路を拡大する事に成功していたのであった。

一方 T 社(本社)は1970年代より、米国中西部にある老舗量販店SE○RS 社(以下SE社)に日本国内の製造拠点より、OEM家電製品を輸出していた。SE社はプライベートブランドで販売をしていた為、家電製品の表にはT 社のブランド名ロゴが表記されず、代わりにSE○RS と表記されていた。パッと見、どのメーカーであるかは、分からず、製品セット裏の「定格板」を見ることで、初めて「Made in Japan, Manufactured by ○○ Corporation 」と書かれていることで理解できたのである。よってSE社店頭に展示されている家電製品は、一部の米国製品を除き、殆んどがSE社のプライベートブランド「SE○RS」で販売されていた。

また、当時は、米国内より家電をSE社に同様にOEM供給していたWA○W ○CK 社(以下WA社、G 工場の前身)は、深刻な品質問題と市場クレームを抱えており、販売に伸び悩んでいた。他の米家電メーカーも競争力を急激に失っていった時期でもあり、更にオランダ、韓国、台湾メーカーが猛スピードで米国市場に参入してきた頃でもあり、市場シェア獲得に多くの日系メーカーも苦戦していた。

ちなみに、米家電メーカー数は最盛期1950年頃の90社から、1970年代は6社にまで激減し、1980年代後半には何とわずか1社を残す所まで衰退していた。その中の一社がWA社であった。

SE社はWA社よりOEM供給を受けていたものの、深刻な品質問題を抱えており、WA社に対する品質改善を要求するのと同時に、SE社も今までの自社プライベートブランド路線では拡販の限界を感じており、新しい戦略が必要と考えていた。その対策として、今までの老舗「SE○RS」ブランドから「メーカーブランド」へシフトすることとなった。

そこで、既に高品質OEM製品供給で健全たる販売実績と信頼を勝ち取っていたT社にその白羽の矢が立った。SE社からの援助を受け、T 社は新たなる米国市場参入とビジネスチャンスの可能性に期待し、商談のテーブルに着く事となった。

結果的にSE社からの資金融資と、T 社の技術提供で相乗効果を目指し、経営の建て直しが進められたが、決して平坦な道のりではなかった。T 社がWA社を買い取った後は、度重なる労働ストライキと従業員雇用契約の交渉決裂を乗り越えて、漸く数年後にT ブランドにおける現地新体制を軌道にのせる事に成功し、その結果、G 工場は、一時期業界から全米一位を誇る巨大製造工場と言われるまでに成長した。

2. The USA COMPANY 転換期

1990 年代頃になるとG 工場も市場競争が激化する中で、新たな販路拡大を迫られ、また、生産拠点をメキシコに移転する計画が持ち上がったが、人件費が1/8というメキシコのコストメリットがありながらも、地域の猛反対もあり、G街 にぎりぎり迄留まることとなった。製造拠点としては、ほぼ米国の中央に位置する関係上、物流的にも東西南北を結ぶ絶好な立地条件に恵まれ、また比較的に安い労働力が手に入る場所でもあった。

G の地域性を考えると、遡ること1940年代までの主な産業はコットンの栽培であり、綿花の収穫でも全米で特に有名な場所でもあった。1940年代迄は、棉花は手作業で収穫され、住民は比較的裕福であった。1950年代からは、収穫はオートメーション化され、一変してそれまで主体であった人海戦術は不要となり、地域住民の雇用が極度に激減していった時代背景に、最後の砦として残ったのが、G 工場の前身で有ったWA社であり、WA 社を引き継いだT 社も、何時しか地元産業として重要な役割を果たしていくのであった。そういった地域のしがらみや政治的圧力もあってか、なかなかメキシコへの移転が出来なかった。

T社もこの数十年間地元に貢献してきており、絶え間ない努力を惜しまず、常に安定な雇用を提供し続けており、WA社の元従業員や以前WA社よりレイオフ(一時的に解雇)された人材を新たに雇用し、また再教育を行い、可能な限り地元雇用を促進してきたのである。傾向的に、クリスマスシーズンが過ぎると、一時的に工場からの出荷が減る為
時には多くの労働者がレイオフされるケースがこれまで普通であったが、T 社では、なるべく雇用を促進するため、作業員の配置転換を工夫し、生産が、スローな時でも対応を試みたのであった。

3. The USA COMPANY 南部の街

1861年~1865年の南北戦争は、奴隷制度を押し進める南軍(Confederate)と奴隷解放と自由を訴える北軍(Union)との間で戦われた戦争であったが、結果、南軍が負けた事により、奴隷制度が廃止されたのだが、今でも古き良き時代の南軍「精神」が根強く地元には浸透しており、特に「北のヤンキー」とは違う南部独自の崇高な文化があると南部なりのプライドを自負していた。Conservative (保守的) 思想は、従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的もしくは政治的な改革・革命・革新に反対する思想を示し、過激な変化を拒否し、多くの場合よそ者(有色人種含む) の文化浸透を嫌う傾向に有った。

一方で、バイブルスクール(教会)では地域のPastor (牧師)の熱弁を通じて聖書 (旧新約)の解釈を通じ、最終的にはイエスキリストを信じる事で死後自らが永遠の命と引き換えに、救われると言う教えを受ける。その中でも一番重要と思われる教えは、マタイ福音書にあるように、人の罪を赦す事にある。イエスが教える「無限に赦しなさい」とは、事実最高に美しい教えで、赦すとき、人は最も神に近い存在になる。そこから愛が広がり、人を変えることができるのだ。

このような崇高な精神を備えている人間が他者を赦せないのは、恐らく各々の「プライド」が邪魔をしていると思われるからである。

すなわち、プライドが高い事から、傲慢な態度になりがちになり、何時しか他人より自身が偉いと勘違いをしてしまい、自分を正当化する事で他者を赦すよりも、逆に弾圧してしまう傾向になるのではなかろうか。聖書には数多くの罪の中でもっとも重罪と言われているのが、プライドと傲慢さである。解釈としては、プライドと傲慢を皮切りに、相手に対するやきもち、恨みや憎しみと様々な重罪を犯していく為、何よりも真っ先にプライドを捨てる事で、出来るだけ罪を犯さないように努める。

この拡大解釈としては、自らの成功や功績は、自分の力ではなく、神より恩恵を受けた結果であって、決して自分だけの努力によっ成功したのではなく、才能もスキルも全ては神の恩恵を受けたからこそ成し遂げた事だと教えている。

一時は奴隷制度を承認してまで戦った南北戦争は、彼らのその崇高な精神に相反するのではなかろうか。聖書を重んじ、人間を愛し、情け赦しをかける敬虔なクリスチャンが重んじるconservatismではあるが、慈悲や赦す事とは正反対な方向へ転じてしまい、有色人種への差別弾圧が、残念なことに、ごく当たり前に地元では行われていたのだ。

この独特な、相反する「文化」は、結局は当時の日本人駐在員にとっても、又現代においても、良く理解出来ないのである。

確かに、地元子供たちは大人への返答を、必ずYes Sir, Yes Madamと礼儀正しく対応していたし、水曜日と日曜日は必ず教会に家族揃って礼拝する敬虔なクリスチャン達が殆んどであった。バイブルベルトと言われるだけあって、目を瞑って小石を投げるものであれば、必ず教会に当たる、等の冗談を言われる程教会が多く存在する場所でもあった。ただ、たった10キロ程北に行くとあの白人至上主義者の団体K○Kの本部がある。白い服装を纏って、十字架に火を保つのだ。あの恐ろしい光景が目に浮かぶ。

4. The USA COMPANY 南部の街 DNA

G 工場で働いてた黒人清掃員のM さん曰く、地元黒人社会において彼らには独自のルールがあるとの事であった。それは人少ない道路で警官に止められても、そこが無人地帯な場所で有るならば、絶対に車を停止しないのである。その理由は明確で、例え違反で止められても、人が多い所でしか車を決して停止しないそうだ。なかなか停止しない車に腹を立てて地元警察官が不要に追い詰め、時には運転者を車から引き釣り降ろして暴力を加える事も日常茶飯事であった。

この「南部DNA」を象徴しているのが1960年代の映画、「夜の大捜査線」である。あらすじは、南部で発生した殺人事件の容疑者として、駅で列車を待っていた黒人青年ヴァージルの身柄が拘束された。しかし警察の取り調べによって、ヴァージルはニューヨーク警察殺人課の刑事であることが判明する。保安官のビルは、ヴァージルに反感を覚えながらも、協力して捜査を進めていく内容だ。南部の人間が理解出来ないのがこの北から来たエリート刑事が白人保安官より高給取りである事だ。黒人と白人の立場が入れ替わり、この映画は初めてそれまでの白人至上主義に根っこから挑戦した映画でもあった。
映画は、ミシシッピでの出来事だったが、同時にG街 に雰囲気が良く当てはまる映画でもあった。

A州では、1954年のブラウン判決によって、それまで行なわれていた公立学校における白人と黒人の「分離教育」が違憲となり、各地で白人と黒人が同じ学校に通う「融合教育化」が進められるようになった。

A州は人種偏見の強い南部の中では比較的差別撤廃に最も積極的な州であったと報道で伝えられているが、1957年にリ○○ロック・セントラル高校の融合教育化が決定すると、当時の州知事は州兵を学校に送って黒人学生の登校を阻止した。異人種融合に反対する地元の白人も大群衆となって学校を取り巻き、黒人学生の登校に反対した。

○○○ロック市長が州知事に法律順守を進言したが拒否されたため、市長はアイゼンハワー大統領に軍の派遣を要請した。アイゼンハワーは事件について報告されていたにもかかわらず、州の権限に介入することによる政治的問題が起こることを鑑みて静観していたが、騒動がテレビで大々的に報じられ国内外で大きな注目を浴びるに至り、市長の要請に応じて陸軍第101空挺師団を○○○ロックへ送り込んだ。入学予定の9人の黒人学生は軍の護衛付きで登校した。

このような歴史的背景を皮切りに、学校カリキュラムにおいても、信じられない光景を目の当たりにする事になる。その代表的な例がダーウィンの進化論を完全に否定していることであり、ある教師がそれを学校で教えた所、裁判で訴えられたのだ。結果は教師が敗訴し、以降進化論を学校で教える事は禁止となった。あくまでも人間は神のイメージとして作られ、「創世記」に有るように、アダムとイブが最初の人類で有ることが今でも教えられている。猿からの進化は認められないのだ。現地学校に通っていた日本人駐在員のお子さん達も、このような教育を受けていた。

一見複雑に見えるこのような歴史背景がある州ではあったが、日本人駐在員に対する受け入れは非常に良かった。非常に親日で面倒見が良い。アットホームで、親切な人達だ。

しかし、である。以前数回あった労働ストライキ中に拳銃発泡を目の当たりにしたG 工場長ならではのアドバイスとしては、駐在員に対し、日頃から目立つ言動や行動は絶対に控えるようにと指示が出ていた。前に触れた黒人清掃員の話しにあったように、南部、田舎の警察(保安官)は、ここでは、絶対的な権力を持っている為、仮に金持ちそうに見えるど派手な日本人がいたとすれば、田舎道で止められて、「ズドーン」もあり得るのだ。K○Kと繋がっている可能性が高い。幾らでも公務執行妨害、「相手が暴れたので、自己を守るため仕方なく撃った」などを理由に事件をでっち上げる事は容易に出来るのだ。

工場長は更に指示していた。日本人駐在員は回りに配慮し、目立たぬアメ車セダンに乗る事。スポーツ車やSUVは基本目を引く為、当時の社内ルールとして厳禁であった。兎に角日本人は目立っては駄目なのであった。

娯楽が全く無いG では、ドライブをするかゴルフ場に行くしかない。更に敬虔なクリスチャンが多いこの街ではアルコールがタブー視されている「ドライカウンティ」なのだ。教会礼拝の日曜日はスーパーでもアルコール類が全く買えない。特に日本から来る上層部幹部出張者をアテンドする際、日曜の晩にG に到着するのであれば、地元のレストランではビールもまともに飲めないのであった。

5. The USA COMPANY ビジネス

現地従業員の「労働意識」は、苦しくも日本側が求めるものとは異なっていた。例えば、一作業員が現場での改善方法を提案する等のボトムアップ式企業カルチャーが構築されていなく、マネジメントと現場が生産性向上に向けて密に連絡が取れるような仕組みが定着していなかった。その辺の「構造改革」を一から進め て行く必要があった。極端な話、製造ライン作業中のワーカーがくわえタバコで作業をする事は普通に行われていた。品質に悪影響を与える事すら当初彼らの意識には無かったのである。5S運動(整理/整頓/清掃/躾/安全)は、今では当たり前の概念であるが、これを一から徹底的に現場で導入する必要があった。それまでの歩留りは、日本工場の7割程度しか得られなかった。

後にNY大学の論文でFC工場のケーススタディーが紹介されたが、日本の製造工場の殆んどは、どちらかと言うとホワイトカラー社員とブルーカラー社員との間に当たり前にラポール(RAPPORT)が定着しており、密接な相互コミュニケーションスタイルが自然と取れていることと、作業現場からの改善提案を積極的に受け入れ、チーム全体で生産効率を上げていく意識が定着しているのに対し、米国ではどちらから言うと、現場の意見を「吸い上げて」改善していくスタイルよりも、トップダウン式で現場に指示を与える事が普通であった。

SE○○SのプライベートブランドからメーカーブランドへシフトしたG 工場であったが、販路拡大に成功し、90年代より大量の家電製品( テレビ、電子レンジ、オーディオ)をW量販店に毎日出荷していたが、と同時に、商売の難しさも改めて痛感していた。日系メーカーとは言え、マーケットポジショニングがある。T 社含む、S○NY, HIT○CHI等の有名ブランドは、地域での人気と店舗によってメーカーポジション「セグメンテーション」が確立されており、仮に店頭での販売実績が悪いと、W社本部から、「Roll Back」(値下げ)を要求されるのである。例えば、それまで$399の店頭販売価格が、段階的に$399→$379→$359と値下げされるのである。当然この差額($40)はメーカー負担となるため、最初の値下げ前の在庫数が、2万台あれば、$20 x2万台を「拡売費」としてメーカー側は拠出しなくてはならない。これが年に何回か訪れるのである。又、レギュラー商品ラインアップに加え、客引き用に、クリスマス、感謝祭セールやブラックフライデー企画もあり、その時期に合わせた低価格「目玉商品」の強い要請もWから受ける為、それに対応出来ないメーカーは、徐々に自社ラインアップ(モデル数)を仕入れ担当者により減らされる事にもなりかねない。駐在員とW社仕入れ担当者と毎月行われる商品補充(replenishment)ミーティングでは、売上が落ちているモデルについてはとことん言及され、販売データの分析結果を突きつけられ、値下げ要求を受けざるを得ない状況に追い込まれる。これが日々当たり前で、各メーカーは言うまでもなく、迅速な対応(協力)が求められる。例えば韓国メーカーの駐在員の多くは一社員としての多大な予算枠の決定権を持っているため、その場で値下げ対応等要望に対応する満額回答する事が出きるが、多くの日系駐在員は一旦それを持ち帰り、本社の了解を得る事が必要の為、どうしても時間のロスが生じる。後日満額回答を、本社が了承しても、W社仕入れ担当は既に別メーカーより満額回答を受け、その場で即決している為、時既に遅しと言う結果に繋がる事もある。場合によっては、自社ブランドよりポジションがワンランク上のメーカー品が、自社の価格帯より安く販売され、結果競争力を失う現象が発生するのである。即ち、ブランドイメージが自社より高い商品が自社製品より安く売られる現象だ。ここで一種の「パワーバランス」が崩れ満額回答が遅いメーカーも結果遅かれ早かれ、W社の要求を飲まずにはいられない。結果メーカーはフラグシップモデルから波及モデルへと、ぼうとうに有った社名ロゴを立派なエンブレムから印刷対応にしたり、簡易取説を更に簡略したり、リモコンの操作数を減らしたり、接続端子の数を減らしたりして、数十セントを地道に「削る」事で必死に対応していくのである。店頭での万引き防止用RFID タグ(数十セント)も各製品箱の梱包材に入れる必要がある為、メーカ側もコスト対応に必死だ。

よって日頃からW社の仕入れ担当者との良好な関係を築く事が駐在員に強く求められる。とは言え、飲食ゴルフ接待等は固く禁止されているので、純粋に商品力、マーチャンダイジング、宣伝拡売費のタイムリーな提示が何よりも物を言う。

6. The USA COMPANY ビジネス#2

更に、米国人の商習慣として、購入した商品が気に入らなければ、即「返品」することが出来るのである。極端な話、散々調理で使用した鍋や調理器具をはじめ、ホームシアターステレオシステムのような高価な商品を週末ホームパーティーで使用する為に購入し、weekendで一回のみ使用し翌月曜日にあっさり返品するのは当たり前な事である。W 量販店では、購入した際のレシートを店頭で提示出来れば、購入日から90日の間であれば、いつでも返品する事が可能である。W社創業者のS. ウォ○○ンは、お客が、ある日「この時計は時刻を表示しない」と言って「温度計」を返品しに来た事に対し、お客が温度計と時計を明らかに勘違いして購入したのにもかかわらず、返金と返品を認めた、有名な逸話がある。また米国では過去に洗ったペットを電子レンジで乾かし 、「受けた被害」を、使用取説の注意事項に書かれていない事を理由に、平気でメーカーを訴える出来事があった。このようなケースを見ると、むしろ、アメリカの「国民性」は決して侮れない。メーカーとしては「プロダクトライアビリティ」(PL保険)に力を入れざるを得ない状況にある。アメリカは、そういう国である。

日本の常識は正に世界の非常識と言っても過言ではない。製品を出荷したのは良いものの、顧客が不要と思えば商品を即返品出来るのである。言い換えれば、3万台出荷しても返品率が10%であれば、翌日には3千台が余儀なく戻ってくるのだ。決して不良品だけが戻って来るのではなく、品質に全く問題無いものが殆んどである。 品質に問題がなくても、どこかしら使い勝手が悪い特徴やメーカー自体が、消費者の観点から「把握」出来ていない、何らかの不備は、多かれ少なかれ有るため、メーカー側は、日々精進するしかない。

では工場はどう対応するのか。戻ってきた製品を検品し再生可能な「製品」は別マーケットへ「再生品」(refurbished unit )として生まれ変わり、転売されるのである。

7.The USA COMPANY とクリスマス

2001年9月11日に起きた同時多発テロや謎の炭疽菌(Anthrax)ばらまき騒動等でG工場を含む地域住民は日々不安を引きずっていた。日本人駐在員も例外ではなく、海外出張の際は空港セキュリティゲートで特に厳重なチェックを受ける対象になっていた。名前が、「Osamu」とでもあれば、もはや中東からの人間と間違えられたり、更には商品展示会に向かう際、工具や新商品サンプル(モックアップ)を荷物として空港カウンタに預けるならば、即厳しい手荷物開放検査の対象となり、特に日本人は当時余計な時間を取られた。MEM○○IS空港やLI○○LE ROCK空港が玄関口であったが、空港建物より半径2キロの駐車場はすべて閉鎖され、空港へのアクセスに負担が増えて、出張者を悩ませた。

★完成したノベルティーグッズ★

漸くその年のクリスマスシーズン到来で気分一新、社を盛り上げる行事と恒例のクリスマスパーティー会場で従業員や取引先へ配布できる何か特別なプレゼントはないものかと、社内で検討する事になった。

最終的に落ち着いたのがTOMY社 製USA Trainである。

ノベルティー開発コンセプト:

*家族、特にお子さんが楽しめるもの
*星条旗(USA)を連想させるもの
*低コストであること
*今までに前例が無いものであること
*テロや事件が多い年であった為、何か一時的にでも「ほっと」出来るものであること

「クリスマス委員会」が発足され、上記のコンセプトをベースにまずは社内アンケート調査を実施した結果、筆記道具、カレンダー、システム手帳、テディベア、商品券等一般的なものが上がったが、当時上層部N さんが大の鉄道模型ファンでもあり、鉄道模型路線を強く押していた。しかし、鉄道模型とは言え、米国では○○○ネル社やM○H社のHO、Oゲージスケールが主流である事から、あまりにもサイズが大きすぎる為、現実的にも予算的にも実現は不可能であった。

8. The USA COMPANYの ノベルティーグッズ

返品を受ける倉庫と再生品販売業者を繋げる物流拠点をG 工場は全米で幾つかの拠点を持っていたが、特に大きい返品倉庫をC州に持っていた関係で、N さんは返品倉庫を仕事で定期的に訪れていた。正規販路を妨害しないためにメキシコや中南米に向けてこれら「再生品」の生販在を管理していた。

Nさんは米国駐在中、日々激務ではあったが、時間を見つけては当時幼い息子さんとPレールで遊ぶことが多かったと言う。むしろ息子さんに買い与える過程で、実は自分がはまっていったのだ。

G では日本食はもちろんの事、滅多に日本の文化にお目にかかる事はなく、日本食はまず地元で手に入らない。唯一地元スーパーではキッ○ーマン醤油とサッ○ロ○番の乾麺は辛うじて手に入ったが、本格的な和食は車で1時間かけて最寄りのP市までわざわざ行かないと食べる事が出来ない。昼飯は、地元のファーストフードのピザ、ハンバーガー、アメリカスタイルの中華、メキシカンを食べるか、家で自炊するしかない。食種が非常に限られていた為、日本人駐在員は常に日本食に飢えていたのだ。

そのような厳しい食生活においてN さんは、3ヶ月に一度のC州「返品倉庫」への出張を常に楽しみにしていた。その理由は、「リトルトーキョー」へちょっと足を伸ばせば、好きな寿司、鰻重やラーメンが食べられるし、「紀○○屋」書店で好きな日本の書籍や雑誌を立ち読み出来るからだ。これが何よりも楽しみであったと言う。

そんなある日、その本屋でいつものように立ち読みをしていたNさんは、某レール雑誌の特集記事を見て驚いた。それは某有名なPレーラーが座敷を借りきっていて、「芸術」と言って良いほど素晴らしいレイアウトを組み立てて、昭和のP レール車両(今は絶版モデル)を見事に走らせていたシーンが紹介されていた。

キハ181系ディーゼルカー、東海道線、京浜東北線等の中にあったのが、今では幻の583系「寝台特急」であった。この1997年頃の雑誌記事が頭に焼き付いてしまって、忘れられなくなったと言う。デフォルメされた形とその色使いに惚れ込んでしまった。その「食パン型」ボディとカラーリングがたまらない。欲しくても、もう手に入らないのだろうか?この時点では90年代後半である。もしかしたら何処かで手に入るのでは、と期待を寄せた。

ああ、70年代にタイムスリップしたい。せめて自分が学生の頃、80年代前半になぜ玩具店で買わなかったんだろうと、今更ではあるが非常に後悔した。そんな想いを寄せてNさんは日本へ一時帰国した際には時間を作っては場末の玩具屋を片っぱしから探したが、時既に遅し、収穫はなかった。

9.. The USA COMPANY ーどうしても欲しい

3ヶ月に一度「返品倉庫」へ出張したN さんはC州に来て解放感を感じていた。だが、返品倉庫には毎日送られて来る返品の山。膨れ上がる在庫を目の前にし、一種の恐怖心を覚えながらも、コツコツと再生業者との商談と出荷業務をこなしていた。

夜モーテルに帰り、NさんはW社への新商品のコスティングを算出していた。物流経費、Landed Cost、40ft FEU入数、FOB、その他諸経費、粗利等を計算していた。ふと、これを面白半分Pレールに置き換えて架空のコスティング(FOB Bangkok/工場出し値) を計算して見た。メーカー仕入れ価格も不明のまま根拠さえ全く無いものの、何となく「それらしい」ものが出来た、とその時Nさんは思ったと言う。Nさんはその何も根拠の無い計算がどこまで正しいのかを最終的に確かめて見たかったのだそうだ。まさしく無防であった。

後日、ネットでT○○y USAの連絡先を突き止めたN さんは無防にも電話を掛けてそのコスティングを確かめて見る事にした。長年想いを寄せていた「寝台特急」につき話を持ちかけた所、何でもその年に「復刻版寝台特急」が出るので、今だったらノベルティーグッズとしてタイ工場に発注出来るとの事だった。世の中には、奇跡と言うものが本当にある。転々拍子に事が運び、Nさんは早速委員会に相談し発注すること了承を得た。「記念品」の価格、デザイン等が協議され、量産試作品を確認して、同年11月にNさんは正式に発注した。後に判明したのがタイ工場からの出し値がほぼ予想した通りの価格であった事から商談成立にこぎつけるのが早かったと言う。日々毎日電卓を数時間打つのが日課であったNさんの職業病が、禍を転じて福となったのである。

正式発注

改めてこの商品を見てみると発案者のNさんのこだわりが伺える。記録によると下記のごとく発注された。

1.初回ロット:
ボディ: ライトイエロー
客室窓枠 : 紺
ヘッドライトシール : ブルー
車輪 : レッド


2.セコンドロット:
ボディ: 濃いイエロー
客室窓枠 : 紺
ヘッドライトシール : ブルー
車輪 : レッド


3.サードロット:
ボディ: シルバーメッキ
客室窓枠 : ブラック
ヘッドライトシール : ブラック
車輪 : ダークグリーン

上記3モデルは、一時期東京の鉄道模型老舗である天○堂で特別に販売されていた。

10. The USA COMPANY 総括

失礼ながらも、Nさんという型破りで常識に囚われない、且つカリスマ的工場営業マンの構想力と行動力がなければ、この企画は実現出来ていなかった事であろう。時代背景と当時のUSA Company が置かれていた特別な環境も有利に働いていたのかもしれない。何よりも大事なのがタイミングであった。

ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。

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