「Giant」の撮影が始まる前、一生忘れられないパーティ(1955年6月、Los Angels Burbank the Warner Bros. Studios)があり、共に働くクルーが集まって、お互いに挨拶しました。ジェイムズは、大変物静かで、いつも、俯いて床を見て、いろんな人に、ボソボソ「こんには」と言っていました。ジェーン・ウィザーズは、いつものように、いきなり、ジェイムズには近づかず、背後に留まり、彼の様子を見ながら、そんな機会にめぐまれことに感謝していました。ジェイムズ の実像は、一言で言葉にするのは難しかったけれど、間違いなく、一角の人物でした。しかし、「自分では決められない出会い」や、「他人と一緒にいること」など、「プロの役者」としては避けられない多くのことを随分怖がり、自分自身の世界に留まっていました。間違いなく「一匹狼」でした。私は、心の中で、本当に、ジェイムズのことが分かるようになるだろうかと、心配でしたが、その時は、間もなく訪れました。
しかし、時間が経つにつれ、ジェイムズと私は、お互いを、より良く知るようになりました。この件については、ジェイムズと考え方を共有する良い機会が何度かあって、「映画撮影の終わりに近づくころ」には、「撮影クルーに対する思い遣りが、随分とは言えないまでも、以前より増した」と言う点で正しい方向に変化していた。
ジェイムズは、皆んなが「自分を見ていた」ということに、大変関心を持っていました。ジェイムズは「自分について不思議がられるようなこと」をよくしました。ジェイムズは「とても複雑」でした。「注意を向けられている」のが好きでした。また、「尋常ではないこと」も非常に好きでした。結果的に、ジェイムズは「自分が変わっている」とか、「一体、何者なのか、さっぱり、わからない」とか、語られていましたが、「その種のミステリー」が好きでした。
彼自身、「必死で、持ち運び続けていた」、その全ての「うわべ」を取り除くことが出来れば、そこには、大変素敵な資質があり、私はジェイムズが、もっと、好きになったでしょう。映画の制作過程で、ジェイムズが、彼の「うわべ」を乗り越えられたなら、私は神に感謝したでしょう。