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★DVD サクリファイス アンドレイ・タルコフスキー

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発売日: 2002/03/25 製作年: 1986年 製作国: スウェーデン/イギリス/フランス 収録時間: 149分 出演者: エルランド・ヨセフソン ギュードルン・S・ギスラドッティル スーザン・フリートウッド アラン・エドワール 監督: アンドレイ・タルコフスキー 製作: アンナ=レーナ・ヴィボム 脚本: アンドレイ・タルコフスキー 原作: ---- 詳細: ---- 字幕: 日本語字幕 音声: モノラル/スウェーデン語 シリーズ: ---- メーカー: 紀伊國屋書店 ジャンル: アクション ドラマ

全体状態評価「S’」・経年劣化「微小」」

この作品を息子に捧げる。希望と確信をもって アンドレイ・タルコフスキー

『僕の村は戦場だった』『惑星ソラリス』などを手掛けた名匠、アンドレイ・タルコフスキー監督が手掛けたドラマ。穏やかに誕生日迎えるはずだったアンドレイだったが、核戦争が勃発したことを知り、人々のために自らを‘生贄’にすることを誓う。

言葉を話せなかった少年が、再び言葉を話せるようになるまでの1日。少年の父である主人公アレクサンデルは生命の樹を植える誕生日に、核戦争勃発の声をテレビで聞く。アレクサンデルは自らの狂気を賭け、信じていなかった神と対決し、愛する人々を救うために自らを犠牲に捧げるサクリファイス(犠牲、献身)を実行する……。1986年のカンヌ映画祭で史上初の4賞受賞に輝いた、「惑星ソラリス」「ストーカー」などの傑作を世に送りつづけたA・タルコフスキーの遺作。

言葉を話せなかった少年が話せるようになるまでの1日を、その少年の父の行動を通して描く。製作はカティンカ・ファラゴー、エグゼキュティヴ・プロデューサーは、アンナ・レーナ・ウィボム、監督・脚本は「ノスタルジア」のアンドレイ・タルコフスキーで、これが彼の遺作(86年死去)となった。撮影はスヴェン・ニクヴィスト、音楽はJ・S・バッハ(マタイ受難曲BWV244第47曲)他スウェーデン民族音楽と海音道宗祖の法竹音楽 、美術はアンナ・アスプ、編集はタルコフスキーとミハウ・レシチロフスキーが担当。出演はエルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッドほか。

わずか54歳でこの世を去った鬼才アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作。スウェーデンの島を舞台に、大学教授・アレクサンデルの1日を描く。自分の誕生日に松の木を植えた彼は、のどの手術で言葉が話せなくなった息子に、奇跡の伝説を語り聞かせる。やがて平和だった島を襲う、突然のごう音。TVニュースが伝える核戦争勃発。アレクサンデルは平和のために自らの命を神に捧げようと誓う。 他の作品同様、タルコフスキーが静かな語り口によって、生と死の問題に深く切り込んでいく。アレクサンデルと木のカットなど、一枚の絵のような美しさを放つ映像の数々に、バッハの「マタイ受難曲」や日本の尺八など音楽も心を揺さぶる効果を発揮している。神への献身と犠牲(サクリファイス)、そして核の恐怖。そんなテーマに、自らの死を意識し、重ね合わせたような本作によって、タルコフスキーは魂の叫びを鮮明に浮かび上がらせていく。

【悪夢と終末そして再生】  謎めいた言動は自己犠牲だとわかる。贖罪の観念でもある。深い哲学思想に支えられた独特の美学だ。はじめ言葉ありき。マタイがかぶさるラスト。信奉者の多いタルコフスキー54歳の遺作。日本贔屓らしい雅楽にJVC再生装置。スウェーデンのゴトランド島煌く波間の光。

【ペレストロイカとの関連性は?】  刻々と、次から次へと、新しい構図の絵が生まれてゆく。 人や物が動くにつれて。 もちろん、すべてはタルコフスキーの計画どおりに。 それも、驚くべき緻密さで。 なんという吸引力。 登場人物の語りは私の脳裏を練り歩き、立ち止まる。 現在、そして未来への警鐘が目白押し。 タルコフスキーの美意識や価値観は、小生の素通りを許さない。 聖なるイコンにさえ感動できない小生なのに。 彼のメッセージは、そんな小生の感性をもくすぐり、耳をそば立たせざるを得ないのである。 もちろん耳だけではない。目も当然、離せない。 目の前で繰り広げられるのは、動き、語る絵画の、二時間以上に及ぶ大展覧会である。 理想の構図を保ち続けるカメラの静かな動き。 そしてその動きがスッと止まった時のその構図の完璧さ。小生を茫然自失に追い込む。 人の位置と家具や物の位置とカメラの位置。 光と影と色、音と音楽。 あらゆる調和が悩ましい。 固唾を飲み、目を見張るしかない。 そして気がつけば、えも言えぬ心地良さが、小生の全身を襲っているのである。 だが、それと同時に、心がむき出しにされた不思議な感覚にも気付く。 場面転換と、おもむろに挿入される美しい映像、そのタイミングはまさに絶妙で、強烈な余韻を残す。 とにかく、映像だけでも、見るものの感情を掻き乱し、頭ではなく五臓六腑に訴えかけてくる、傑作。

【自己犠牲】  作品とは全然関係がありませんが、公開当時、 見に行った劇場で痴漢騒ぎがありました。 タルコフスキーを見に来る痴漢がいるのかと不思議でした。 タルコフスキーに惹かれるのは、彼の独特の作風に触れ、 自分の心の中に共通した感性を呼び起こさせられるため ではないかと思います。作品自体の質や出来となるとまた話は別で、 作品を連ねる毎に説明の部分が欠落していて、 放漫で独りよがりの作品であることも事実です。 この作品はいつもの作品群とは雰囲気が異なり、暗い印象ですが、 それは撮影監督をはじめとするスタッフによるものかもしれません。 この監督は早世しましたが、もう少し生きていたら どんな作品をつくったのだろうかと思いを馳せます。 このような鋭利な感覚の人物は長生きできないように あらかじめ予定されているのかな。

【聖なる映画、遺作】  タルコフスキーは、聖なる映画を作っただけだった。最後は、癌で死んだ。 ある種の映画ファンは、攻撃的である。spoilerである。よくある話。昔の話だが、ある知り合いが、タルコフスキーなんて糞だよっ!ワケワカンナイよっ!とピリピリと薄い唇に唾液を光らせて罵った。そいつは狭いアパートの下宿住まいで、小さいテレビデオでタルコフスキーの『ノスタルジア』を見たようだった。蛍光のあかあかとする中、日清UFO焼きそばをすすり、ときどき睾丸の裏の皮をポリポリ掻きながら、タルコフスキーを見たようだった。そいつの本棚には、競馬や麻雀やパチンコや風俗の本や雑誌が無造作に並べられていた。よくゼニの話しを早口で、した。絶対出世する、金持ちになると豪語、した。やたら金融商品に詳しかった。自分は貧乏学生だったくせに。ヘビースモーカーで、イライラ怒りっぽく、決してバカではないが、魂(たましい)が貧困だった。だが今では、そいつなりの狡知とハードワークによって、それなりの成功者となっている。いま成功者となった「そいつ」は、多分タルコフスキーのことなど忘れている。休日は株の取引をしたり、家族でレストランに行ったり、電話で部下を怒鳴り散らしたり、野球やテレビのバラエティを見ているはずだ。 そんな「物質的のヒト」に、タルコフスキーの素晴らしさをわかってもらうことなど、土台無理だ。タルコフスキーのような世界観が気に食わないという日本人が、多分、今のニッポンの風景を作っている。あまり知られていないが、大東亜戦争で、彼らは指導層にいた。ピュアなるものを信じていると錯覚して、膨大な同胞の犠牲を強いた。強いたのだった。覇権、征服、支配が、彼らの至上命令だった。どSなので、「派遣」労働を巧みに利用し、「制服」女子高生と援助交際をし、「賜杯」のエキスをごくごく飲んだ。そいつらは、テリブルに勤勉であった。 タルコフスキーは、そんなふうに権勢をほこる傲慢な連中と闘い、苦汁を飲まされ、放逐され、おとしめられながら、それでもめげずに、聖なる映画を作っただけだった。最近、DVDでいくつか観直したが、その熱くクールな思いに、ふるえた。自分はノンキ坊主だが、タルコフスキーには、敬礼をしたい、と思う。

【何度あくびをしたか】  遺作なのに申し訳ないが、こんな退屈な映画、よく作ったもんだなぁ。 何の足しにもならない映画だった。 夜8時以降に観ると100%寝ます。 わかったようなコメント書いている人の気がしれません。 そんなに面白かったですか?と言いたい。 普通の人間が話す50年分ぐらいの小難しい会話がえんえんと続くが、 一日の間に、こんなこと話すか、普通。 これじゃ、主人公は気が狂って当たり前です。 女中雇って遊んで暮らしている人間が、核戦争を危惧し、 自らを犠牲にするなんて話、僕には共感できませんね。 芝居がかった台詞をみなが深刻ぶってしゃべっているのもちょっと変。 最後まで観れたのは、フレームの中の人物の出し入れや配置がうまいのと、 ニクヴィストの平行移動ショットがよかったからです。 トレードマークの水は、あまりよくなかったかな。

【ああタルコフスキー】  アンドレイ・タルコフスキーの遺作。恒例の通り、精神の奥深き世界へと誘い込み人間の内面を幅広いスケールで描く。そこで扱われるテーマは郷愁をはじめとして、狂気、信仰など実に多彩である。やはりタルコフスキーの映画だ。非常に難解である。いや、”難解”と一言で言ってしまっていいものなのだろうか。難解であり、単純だ。彼の映画を観ていると”言葉”に自信が持てなくなる。といっても多面性があるということを言っているわけではない。もちろん多面性はあるのだが。言葉で言い表すことの出来ない、物質的とも精神的とも一概には言い切れない”何か”を映像を通してタルコフスキーは我々に語ってくれる。日常性のなかに潜む”何か”を。その主旨を掴めるかどうかが、それが睡魔の襲う退屈に取って代わるか、ある種啓示のような神々しいメッセージとなるか。に懸かっている。それが非常に掴みづらい。我々に示されているのはただそこに”何か”があるということ。こんなことを遺作で気づきはじめる俺自身、なんだかとても悔しい。なんか作品の感想になってねえや・・・。まいっか。

【主よ、憐れみたまえ】  アレクサンデルが登場人物となれば『ファニーとアレクサンデル』の方が自分にとっては格段に上位を占める。しかし、撮影が同じスヴェン・ニイクヴィスト。ベルイマン御大の作品には欠かせぬ逸材。魅力が無いはずがない。“聖書画”と、召使のマリアとのアレクサンデルの交合に於ける、昇降機能付き回転ベッド?若しくはワイヤー・プレイ?だか何だかで二人が“輝く”シーンの鮮烈なカラーを筆頭に、海辺の松林や草原といった風景のナチュラル・カラーが目に優しく、さらにそれらに潜む心象風景としてのモノクロームが、それらのポリクロームに陰影と立体感を与えている。全篇に漂う“尺八”の音色が、クレジット・タイトルで枠組みを形成する『マタイ受難曲』中のアリアとのコントラストを際立たせており、映像効果を引き立てている。しかも時にはその深奥さに於いて互いに“交合”する。東洋と西洋の脳波がピタリと合うところが読み取れるのだ。平たく言うと“墨絵”と“油絵”の各々の持ち味をタルコフスキー仕立ての詩情を盛り込んだ解釈によって表現したようなのがこの“遺作”なのではなかろうか。しかし、ヤマハやソニーよりはマシかもしれないが、あのJVCの安っぽいアンプを通して流れ出してくる尺八の音はナントモ薄っぺらに聞こえてしまう。当然に偏った見方だろうが、アンプはオーディオ機器の“心臓”とも言えるので、あの場面が度々出てくるのは“隠喩”としては見苦しい。「クロサワ賛」をしたかった側面もあろうが、オーディオ製品くらいは基本的には“スペック”に特別こだわらない“ハート”で聴かせる欧州のメーカー物にして欲しかった。それはともかく、全体の核に位置付けられるであろうアレクサンデルの「神よお救いください~」のシーンは迫真性が欠如している。役者のヨセフソンに問題が有ると言うよりは、タルコフスキーの80年代に入ってからの集中力の衰えなのか“弛緩”が災いしていると私には思える。作品としての“枯淡の境地”には残念ながら達してはいない様だ。日本情緒を嗅がせて、その思想を愛しよう、理解しようという姿勢は見られても、どうしても東洋の“輪廻”よりは西洋の“永劫回帰”に支配されている。これを当然と言ってしまえば身も蓋も無い。まあ“断ち切る”か“意地でも続行する”かの間隙は東洋と西洋の根本的差異であるから易々と埋まるものではないが・・・。しかし「最初に“ことば”ありき・・」という子供の一言は、モーツァルトの『劇場支配人』との競作で知られるサリエリの『まずは音楽、それから言葉』という人類にとっての永遠のテーマを扱った喜歌劇を想起させてくれるし、生命の源である“水”の描写は健在で、澄み切った水の如く底の深さは計り知れない側面は否定出来ぬし、相変わらずの侘び住い風の“ベッドのある部屋”の静寂感もやはりタルコフスキーならではで魅了される。

【タルコフスキーの白鳥の歌】  私はあまり映画というものを、ストーリーで理解しない(できない)たちです。「核戦争の恐怖」は確かに1つのテーマでしょうが、「犠牲」というタイトルが意味するものは、もっと深いもの、生存の根本にかかわるものを暗示しているように思います。 個人的に、マリアと呼ばれているアイスランド人の女性が好きです。この女性は魔女であるとも言われ、他の人々と距離をおいている。寡黙で地味な存在ですが、神秘的な雰囲気を持っており、一人で離れた小屋に住んでいる。疲れた主人公は、結局自分の家政婦であるこの女性のところに行って癒される。 こういうキャラクターを見ると、もちろんタルコフスキーの技量でもあるでしょうが、ヨーロッパという世界の文化の深さを、蓄積を感じさせます。「個」であること、他と同化せずに、覚めて自分自身であること、、、 最後に主人公が家に放火した後、救急車で運ばれますが、それをひとり自転車で追いかけるのも彼女です。その姿には、感情よりも、ひとつの意志が現れているようで、美しいと感じます。 最初劇場で見、その後ビデオやBSで何度見たかわかりませんが、最後の「希望をもて」というテロップを見るといつも涙が溢れてきます。

【誰がための犠牲か】  タルコフスキー監督の映画で、最初に見たのがこの映画でした。 正直なところ、最初に観た時は、自分が想像していたものと違ったように感じられ、一度観ただけでしばらくお蔵入りしていたのですが、忘れかけた頃、再度引っ張り出して、何度か観返しているうちに、何かしか感じるものが生まれてきました。今の私にそれを上手く表現することはできないのですが…。 しかし、アレクサンデルがマリアの胸に抱かれて、宙に浮かび、彼女が慰めの言葉を発するとき、この孤独な男の魂に安らぎが与えられたのかなと、勝手に思いました。そしてそれはタルコフスキー本人が求めていたものでもあるのかな、と。 核戦争勃発の放送が流れ、絶望と混沌の中、アレクサンデルが家族も、家も、名声も、自分が持てるもの全てを捨てるので、世界を救ってください、と神に祈り、その願いが叶えられたことで、彼は最後の儀式を行なうわけですが、確かにこの行為は「サクリファイス(犠牲)」であると思います。しかし、監督が伝えたかったのは、単に自分を犠牲にして世界を救う、というストーリーではなく、もっと深い何かが込められているように思います。 その感じるものは、人それぞれであると思います。 私が思ったのは、この犠牲によってアレクサンデル自身の魂も様々な呪縛から解放された、言い換えれば自分自身を解放するためには、自分を滅ぼすしかなかった、自分の体(キリスト教的に言えば『肉』)を犠牲にすることで、自分の魂(キリスト教的に言えば『霊』)に安らぎを与えた、ということなのか、と思いました。全てを神に委ねることで、ようやく心に、魂に平安が訪れた、と。 では、家族やその友人達は?それは私にも分かりません。 またバッハの「マタイ受難曲」がこの映画に綺麗に合っていたと思います。

【枯れ木から「生命の木」へ・・・タルコフスキーの遺言。】  『僕の村は戦場だった』の最後に、一瞬だけ登場する象徴的な枯れ木のイメージが、『サクリファイス』での「生命の木」へと繋がっていく説は有名だが、果たしてタルコフスキー自身がそのことを意識してこの脚本を書いたのか、非常に知りたい。 癌で亡くなったタルコフスキーがこの作品の前に作ったのが『ノスタルジア』。イタリアを訪れているロシア人にまつわる話でした。そういえば、あの映画の主人公は病に苦しんでおり、あのラストへと到達する訳ですが、果たして『ノスタルジア』を作っていた当時からタルコフスキーは死を予感していたのでしょうか。あるいは、イタリアに亡命していた時点で自らの精神の敗北を感じていたタルコフスキーにとって、「死」と言うべきものは身近な、あるいは既に経験し㡊??ものだったのか。 その意味で、この映画はタルコフスキー映画の中で最も希望を感じさせる映画だと思います。汎神論的世界観の中で、現実に絶望しながら、そしてそれに上手く対応できない自分を憂いながら、自らの思い、希望を幼い息子に伝えようとする一人の老人。 それはそのまま、自分の息子に「アンドレイ」と自分と同じ名前を名付けた、タルコフスキー自身の姿と言って差し支えないと思います。 あるいは、アレクサンドルが映画の序盤で、口の利けない息子に教える、枯れ木に水をやり続けた一人の僧のエピソード。あり得ないことを、それでも信じることの意義そのものを、この映画は問うているのかもしれません。 劇中使われるバッハ・マタイ受難曲中のタイトル、「神よ、私のこの涙にかけて憐れみく!ださい、みてください」は、そのまま、この作品を理解する鍵ともなるでしょう。 相変わらず美しいラスト。タルコフスキー専売特許(笑)の「水と光と木」が同じ画面に同居しながら、タルコフスキー自身による言葉が重なります。 「希望と確信を以て-----------アンドレイ・タルコフスキー」 歴史に翻弄されながらも、その命を映画に刻み続けて生きた、一人の芸術家による見事な終章です。

【永遠に新鮮な映像詩】   核戦争から世界を救済するために自分を犠牲にすべく神に祈る男。全てのカットが映像詩として成立している美しさ、水・光・木、及び空中浮遊といった作家特有のモチーフに加え、音楽以外の「音」の使い方、間の素晴らしさも際立っている。  解釈は色いろできる映画である。起承転結の「転」を担う女「マリア」が魔女なのかは本当はよく分からないし、(余り一般的な解釈ではないが)核戦争や空中浮遊も含めて全てが主人公の妄想だとしても物語自体は成立する。このへんの不明瞭さを「退屈」と評する方は必ずいるんだが、この霞がかったようなストーリーの語り口だからこそ、様々な言語解釈が可能だし、何度でも見るたびに新たな感想を得られるということは確かだろう。僕にとってこの作品は、永遠に新鮮な映画である。  手術のため言葉を発せなかったはずの幼い息子がラストで呟く、聖書のあの一句。このシーンの余韻が本当に素晴らしい。

【夢と現実】  台詞が多いので、必死に見ました。ベルイマンの映画を見ているように、言葉が観念的なことをたくさん言っているので、頭フル回転でしたが、大変でした。 核戦争という究極のシチュエーションを設定して、こどもを守りたいために自分は何もいらないから・・・という気持ちに到達する。母親などは、子供が命が危ない、とかそういう状況になれば、かわれるものなら自分が代わりたい、くらい、結構思うものです。この映画に出てくるお母さんはこどもを守る、以前に大騒ぎしちゃって全然ダメでしたが・・・ だけど、そこに魔女という究極の観音様のような人が現れて、しかも、セックスで、問題を解決してくれることになります・・・この女性こそ、人間ではない、超越した慈悲深い・・・つまり魔女だ! この映画が作られたのは1986年頃。ソ連は雪解けしはじめてるけど、まだベルリンの壁は壊れていない。それまで山ほどアメリカもソ連も核爆弾を作って貯蔵していました。 私など、子供の時、まず広島の原爆の惨状を学び、今はその何百倍も、すごい核爆弾が何十個もアメリカとソ連が競って作って持っていて、地球を何個も破壊できるほどである・・・なんて、ならって・・・地球って1個しかないのに・・・どうなるの???!!!毎日、朝早く起きましょう、歯を磨きましょう、顔を洗いましょう、遅刻しないで学校に行きましょう、宿題をしましょう・・・・ETC.って・・・そういうことやってても、すべて無駄なんじゃないか、・・・そんな爆弾抱えているのに、なんでこんな些細な努力を毎日させられているんだろう・・・と素朴に疑問に思ったものです。だから、繊細なタルコフスキー氏が、核戦争の恐怖で観念的世界に突き進み、魔女に助けを頼みたくなった気持ちも、ありえるだろうなー、と思います。 やっと最近、オバマの時代になって、核縮小を目指すことになったわけで、それまで毎日核爆弾、地球何個も破壊できるほど持ってるんだ、ってことを、忘れなければ、毎日の地道な生活なんて、できるわけありませんよ、ってくらいのものです。 それに加えて、チェルノブイリ事故が同じ1986年。おそらく映画製作時には、まだ、事故ってなかったでしょう。原発事故は核戦争ほど破壊的ではありませんが、人類に深刻なダメージを与えうることは同じです。すべてを放棄しますから!!!と祈っても、救ってくれる慈悲深い魔女が現れるわけでもない・・・でも、すべてを放棄しますから・・・と原発の既得権益を放棄すれば、神様は自然の幸福をまた、与えてくれる・・・と解釈するべきなのかな。

【コトバと一本の木と音楽と】  中井英夫氏に「虚無への供物」という名の文学作品がありました。 この名を借りましょうか。本作の主人公である老人の賭けとしての行為が、「虚無」のままにとどまるのか、それとも充実した意味を持つのかがポイントです。 最後に一本の木がとりのこされます。何を象徴しているのでしょう。 使われた音楽に、バッハや尺八の音があって、それらからも学ぶことができました。 作者の父親は詩人ですが、作者よりも長生きしたのですねえ。 ふと、詩人が詩で試みたことを、作者は映画で試みたのではないか、そんな気がしました。

【鏡、ノスタルジア、サクリファイス】  鏡、ノスタルジア、サクリファイスと続く自伝要素の強い映画です。単に自伝ではないということは鏡とノスタルジアのレビューにも書きましたので、暇があれば見てみてください。枯れた木を地面に植え3年間水をやり続けたら遂に芽が出たという話を使い「毎日同じことを同じ時刻に儀式のように行えば世界は変わる。」という部分も今まで同様、信じること(例えば信仰)というものが世界を変えるという事の比喩ですし、「美術や哲学を極めてより真実に近づく芸術家になり世界を救うという願望」VS「家族への愛、特に子供に対して強い愛情を抱き、それに執着し家族を救うという願望」、も今までと変わりません。「言葉やおしゃべりは無駄だ。」というスタンスも今までと変わりません。しかし、この映画は前の2作とは手法を変え、より写実的になりイマージュの世界が少なくなっててきています。そして、キリスト教の隠喩が多用されています。絵画として出てくる「東方三博士の礼拝」はメシア出現の星を見つけた一行がベツレヘムを目指し、その頃マリアは馬小屋で休んで居たところイエスを産み落とした。という物語を持つ絵画です。それは、この映画の登場人物のマリアとだぶり、主人公のアレキサンドルが後にマリアと世界救済のために愛し合う=たぶんその後身籠る、という事を考えるともの凄い隠喩になります。しかし、「東方三博士の礼拝」はいろいろな画家が描いており、その中でダビンチ作は、暑く塗られた絵の具に隠れた下絵に邪悪なるものを隠しているとも言われていますし、しかも未完なのです!映画の登場人物の郵便屋がダビンチは好きではないと、言っていることを考えると、、、怖いですね。最後のシーンで、アレキサンドルの子供が、枯れた木に水をやりながら「初めは言葉ありき。。。何故なの?パパ。」と空を見上げて新約聖書の冒頭句を呟きますが、これも見ようによっては、天にいる父なる存在に問いかけているようにも見えます。。。そして、「言葉」を否定してきたタルコフスキーの映画のエンディングとしてはもの凄く面白いものですが、、、聖書の言葉ありきの言葉とは、我々の話す喋り言葉ではなく、真理とか存在理由、その然理を指します。それが、彼が前作、前々作から求めていた答えなのでしょう。言葉とは真理でなくてはならないということなのでしょう。。。もう一つ、興味深い話をしますと、ロシアの政治家スターリンは、言葉(この場合我々の喋り言葉のこと)を、どんな少数民族でも自主的に自分が使えるようにしたのです(むろんロシア語は公用語ではありましたが)。それは西欧中心の思想から東欧、アジア、アフリカを解放しようという彼の思想からでした。ですから現在も皆ロシアから独立し、チェチェンを初めいろいろな国が独自の言葉を使ってアイデンティティを守ってます。。。この映画に出てくる西洋の物質文明と日本や東洋の精神文明の対比を考えると、なんだか面白くありませんか???このように、いろいろな背景を内包しています。「鏡」といった自己のマニフェストから、「ノスタルジア」の自己破壊と再生を経て、「サクリファイス」では、一気に彼の考える人類のマニフェストにしたところが、素晴らしいと思います。。。まあ、これはキリスト教やらロシア史などを調べてたどり着いた、僕だけの解釈かもしれません。最後にひとつ、、、3作の中で一番好きなのはそれでも「鏡」です。たぶん芸術というのは、政治や体制などで抑制されればされる程、強くなり、当時の若い彼には抑制をはねのけるパワーが一番あり、映像詩として一番完成されていたと思います。その後、国外に出て、年も重ね、広くになった分、エッジーなものではなくなりましたね。。。。でも傑作ですけど。。。久しぶりに見直してみて、タルコフスキーを観た後は、キューブリックもゴダールもフェリーもルイ・マルも、それほど難解ではないような錯覚を起こします。(笑)

【透明感、映像美。】  このサクリファイスを観たしばらくあとに「ギルバート・グレイプ」を観て、なんか続編のようだなと思っていたら撮影監督が同じスヴェン・ニクヴィストでした。空気感という言葉があるとすれば、この匂いのない空間を、スウェーデンという北欧の国の水や音が、この映画の空気感をごく自然に形成したのでしょうか。モネの絵画に「日傘の女」いう作品が何点かあり、前妻の死後描かれたその絵の女性には顔がないのですが、写真の色彩が時を経て褪せていくように、記憶も外形だけを残して、覚えていたいことだけが深く刻まれる。年をとるのも悪くないなと思わせる映画です。

【祈り】  核戦争が人類を滅ぼそうとしている。その最後の日、主人公は自分の命を引き替えに愛する世界を平和にして欲しいと神に祈る… 粗筋を書くと戦争映画のようである。が、これは戦争に重きを置いたものではなく、主人公である一人の老人の強い祈りと神への想いを描いた作品である。 タルコフスキーは他の作品を観てもその命や魂を神に捧げ、もやしているように感じる。主人公の老人はタルコフスキー自身だ。 この舞台は変化のない美しい白夜の広がる北欧。戦争などまるで及んでいないか…ここ以外の世界は消えてしまっているかのような静けさだ。 とにかく映像が美しい。暗い森や煤けた鏡に映る青白い肌。タルコフスキーの作品には欠かせない水の音。凍てついた冬を忘れられないまま人々は静かに話す。 そしてその中で老人は一心不乱に祈る。誰にも理解されずとも体を引きずって。もしかしたら戦争自体も老人の思い込みなのかもしれない。しかしその祈りの強さが心を打つ。 タルコフスキーはこの作品を最後に若くして亡くなってしまった。だから余計に、私にはこの祈りがひたすら透明で切実なものに感じるのだ。 最後の最後、主人公の息子が小さく神様に問い掛ける。 その姿とセリフがとても印象的で、その瞬間この映画をものすごくものすごく好きになった。 どうしてなの? 少年が訊くのは父にだが、瞳はまっすぐ神に向けられている。


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※こうした際、盗難・紛失の可能性もありますのでよくよくご思案のうえ発送方法を選択してください(ただしレターパックプラスは手渡し)。
※不安なようでしたら補償があるネコポス、宅配サービス、代引きで承ります。


落札後ヤフーから送られてくる落札通知のメッセージをお読みください。

◆落札手数料・梱包費・出品手数料はいただいておりません◆

◆ヤフーかんたん決済(クレジットカード)歓迎です◆
恐れ入ります、振り込み手数料は落札者様ご負担ください。
まことに申し訳ないですが金券・切手・図書券類でのお支払いはお断りさせていただいてます。


□備考詳細□
SA~Eまで7段階評価。「´」で下降修正(たとえば「B´」だとCより上B未満という具合)
基本ラインとして「C」ランクを中古屋においてる程度とします。
各状態詳細「激重→大→中→小→微小→なし」(右にいくほど状態良好)
SAは「新品ビニールラップ・未読未視聴」。Sは「新品・数読視聴程度」とします。
当方が基本的に扱うのはオークションお取引品、中古屋流通品、友人よりの譲りもの
がほとんどですのでSA・Sランクはあまりないと思ってください。


☆お知らせ☆
※月に一度の出張に出てる場合は帰宅後にお取引メールさせていただきます。
※基本的に振込み確認時または商品の発送完了をもって評価します。
※複数落札された方への評価返答は特にお申し出がない場合は一つとさせていただきます。
※休日にまたがるお取引の発送は休み明けになる事が多いのでご了承ください。
※商品のお取り置きは最長で一ヶ月とさせていただきます(月末清算になります)
※評価内容によっては入札の取り消し・落札者削除させていただく場合があります。
※在庫多数管理のためお取引・発送にお時間いただく場合がありますのでご了承ください。
※稀に在庫切れの場合がございます。その際は返金・代品で対応いたします。
※送料・発送等は取引会社の約定改定により予告無く変更される場合がありますのでご注意ください。
※他にご質問・ご要望などございましたら気軽にお尋ね・ご相談ください。





(2018年 1月 23日 18時 03分 追加)
※クロネコDM便はヤマト運輸の規定厳格化のため、お取り扱いできなくなりました。ネコポスまたは他の配送方法をお選びください

(2018年 2月 17日 16時 15分 追加)

Jauceを使って売上アップ! Buy this item from overseas with Jauce




(2018年 3月 5日 6時 04分 追加)
※まことに申し訳ないですがヤフオク規約変更によりかんたん決済以外でのお支払いはお断りさせていただいてます。
この商品はヤフオク!出品管理ツール「AppTool(アップツール)」で出品されています。

支払い、配送

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  • Yahoo!かんたん決済
    • PayPay(残高)
    • PayPay(クレジット)※旧あと払い
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