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序文
棚田停市君が、私の編集部、つまり「カメラ毎日」を初めて訪ねてきたのは、四二年の暮もおしつまった頃だったと、私は記憶して います。編集部には写真家が大勢出入りする ので、陽焼け顔には馴れているのですが、彼 ほど色よく焼けているのはめずらしく、一 見して山育ちであることがわかりました。特 数あるその目はトンボのようにランランと輝 き、そのとき私は、アメリカのあるボクサー は山の中に龍ってトレーニングして野性の視 力を養うという話を思いだして、この目だな と思ったものでした。
話を聞くと、細田君は南アルプス鳳凰小屋 の棚田芳三さんのご長男で、いまは彼が標高 三〇〇メートルにある肌小屋を管理して お父さんは山麓の御座石鉱泉を経営されてい るという。いつか私がここを通った折、小屋 にいたあの少年がもうこんなに成長していた のかと懐しく感じました。
鳳凰山は、甲府盆地を走る中央線の車中か らよく読められる山で、印象的な奇岩の小さ な突起は地蔵仏と呼ばれ、古来信仰の対象と されてきました。戦後の登山ブーム以降は、 四季を通じて南アきってのポピュラーな山と なり、いわゆる銀版三山の最高峰・観音岳(二八 四〇・九メートル)から薬師岳にかけての白 砂青松のあたりは、野呂川をへだてた白根三山、なかでも北岳の雄大さ、右へ仙丈、駒と いい、その眺望はなかなかのアルペン・ムー ドのある所です。
その稜線の甲州側は、すぐ森林帯になって いて、少し下ったドンドコ沢と燕頭山の分岐 点に鳳凰小屋があります。細田君はここで一 年中、炊事、掃除、荷上げ、会計、登山指導 から遭難救助まで、忙しい小屋生活をしてい て、その本業の合間にコツコツと動物の写真 を撮っている人であることを涼解したのでした。
その細田君が、そのとき持ってこられた動 物の写真は、写真技術上の問題からいえば末 完ではありましたが、単なる動物図鑑的な写 真ではなく、あるいは動物の生態写真といっ た類のものでもありませんでした。つまり、 登山者のあまり訪れないオフ・シーズンのさ びしい時に、山の動物たちを唯一の相手に共に語り合うといったような、愛情ある動物観のただよう写真であったのです。
文学の世界の、秀れた自然観察者であった ファーブルが、限りない愛情で「昆虫記」を 著わしたように、また文学のもつ詩情とノン フィクションのもつ感動が、シートンの「動 物記」を生んだように、写真の世界にも見る 者に情豊かな感動を与える動物ものがあってもいいはずです。そんなことを想像させる内容を、細田君の動物写真はもっていたのです。
日本には、いわゆる動物写真家といわれる 人は、鳥専門とか魚専門という専科まで加え れば、かなり多いものです。そして、狭い日 本ではすでに国内の動物はすべて撮りつくさ れ、いまや海外のサハリへとカメラが向けら る時代です。それにもかかわらず、細田君は ねばり強く自分の小屋の周りで、顔馴みの動 物たちと対話している姿は、あらためて、動 物写真とはなにかを問いかけているようでも あります。
細田君の動物たちには、「山の仲間」とい うきわめて相応しいタイトルがつけられ、以 来数回にわたって「カメラ毎日」に掲載され 多くの読者の目と心を楽しませてくれました。 それらの作品を含めて、本書に収録された 作品のすべては、細田君と後の山の仲間。 である動物たちとの、心のふれ合った交友の 記録であり、美しく素朴な生活の詩でもあります。
カメラ毎日編集長依田孝喜