[文字が歴史を語り継ぐ]レースレポート 『確かに、これまでもF1グランプリのトップ・スターや有望若手ドライバーが日本のレースに挑戦し、あるいは圧倒的な速さを見せつけ、あるいは期待を裏切る結果に終わったとしても、それは日本のレースに参加した少数の“外人”とでもいうべき存在だった。ところが、今回に限っては世界のトップ・レベルのドライバーが5人参加し、出走ドライバー15人のうちの3分の1を占めることになったのだから、ヨーロッパのF2レースの雰囲気の一端──激しいコンペティションを垣間見ることができるわけである……』 [再録・AUTO SPORT 78年12月15日号より]
日本の名レース100選 Vol.8
1978年 F2 JAF 鈴鹿GP
2006年04月25日発売
目立った傷みはありませんが、古書である事をご理解お願いします。
内容
F2日欧決戦
──高橋国光が「無冠の帝王」を返上
この日の鈴鹿は、異様な熱気に包まれた。ヨーロッパから超一線級ドライバーが5人も来日したのだ。ブルーノ・ジャコメッリ、リカルド・パトレーゼ、ディディエ・ピローニ、デレック・ウォーウィック、ルネ・アルヌーと後に全てF1に「進級」するツワモノ達だ。迎え撃つ「全日本ドライバー達」と真っ向勝負となった。ポールポジションのジャコメッリをスタートで星野、中嶋のヒーローズ勢がかわす。星野が「パターン」に持ち込み、中嶋が後続を抑える中、7位から「無冠の帝王」高橋国光が上位に上がって来た……。
[1978.11.5/鈴鹿サーキット]
[一瞬のフォト・アルバム]剛、集い。国、光る
秋の鈴鹿、70年代後半、そこにはまだF1は走っていない。その代わり、F2による「グランプリ」が盛大に催されていた。ヨーロッパからは若手精鋭5人が乗り込んできた。その5人は全員が後にF1優勝戦線に加わる腕達者ばかり。迎え撃つ日本勢はヒーローズ・ノバの星野一義と中嶋悟、長谷見昌弘、高橋国光、松本恵二、桑島正美、高橋健二ら。予選では欧州F2王者ジャコメッリがコースレコードを2秒塗り替える。首位が二転三転する決勝で、最後「伏兵」国光が大逆転勝利を手中にする。「無冠の帝王」と呼ばれたベテランが、7万8000人の歓声のなか、鈴鹿の宙に舞った。
[今だから語ろう]28年目の真実/高橋国光
2輪GPライダーからニッサン・ワークスのエースを経て“悲運の王者”“無冠の帝王”と呼ばれ、70年代末、“ベテラン”高橋国光のピークはとうに過ぎ去ったかに見えた。迎えた78年JAF鈴鹿GPで、国光は蘇り、そして頂点に立つ。本場ヨーロッパから勝ちに来た若手精鋭たちの走りが、国光の中に眠っていた何かを目覚ませた。強いライバルがいたからこそ、己れはいっそう成長し続けられたのだと。
[戦士、列を成す]出走全車総覧
主な出場者:ブルーノ・ジャコメッリ、リカルド・パトレーゼ、星野 一義、中嶋 悟、ディディエ・ピローニ、松本 恵二、デレック・ウォーウィック、ルネ・アルヌー、長谷見 昌弘、高橋 国光、桑島 正美、他。
[文字が歴史を語り継ぐ]レースレポート
『確かに、これまでもF1グランプリのトップ・スターや有望若手ドライバーが日本のレースに挑戦し、あるいは圧倒的な速さを見せつけ、あるいは期待を裏切る結果に終わったとしても、それは日本のレースに参加した少数の“外人”とでもいうべき存在だった。ところが、今回に限っては世界のトップ・レベルのドライバーが5人参加し、出走ドライバー15人のうちの3分の1を占めることになったのだから、ヨーロッパのF2レースの雰囲気の一端──激しいコンペティションを垣間見ることができるわけである……』
[再録・AUTO SPORT 78年12月15日号より]
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