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をゆくシリーズ「17号」(6月8日号・定価560円)
である。全ページ・カラーグラビア仕立てとなっている。
城の規模、縄張り、築城秘話、ゆかりの武将の物語などの
さまざまな内容は、貼付写真の具体的な目次の詳細から御
想像して下さい。
時は戦国、穀倉地帯は上田・中田・下田と別れていた。
真田の本拠地の上田は、その名のとおり、信濃でも最上級
の農作地帯であった。ゆえに真田の地は、何度も北信濃の
国人領主に煮え湯を飲まされ、何度も領地を追われ続けた。
五度にわたる川中島合戦の渦中、真田幸隆は上杉側の誘
いを断り武田側に与した。真田幸隆は、信玄の信濃平定の
大功者で、のちに武田二十四将の一人となった。
天正10年春、武田家が天目山で滅亡寸前、真田昌幸は
勝頼の救援に向かうも、時遅く主家の滅亡を知る。その三
カ月後、信長が本能寺の変で横死。風雲急を告げ真田昌幸
は、徳川軍がいずれ上田に攻めて来る事を予期した。その
防衛のために、昌幸は急遽この城の縄張りをし、緻密な城
を完成させた。昌幸は、信濃へ侵入した徳川家康軍の猛攻
を受けたが、これを見事に撃退した。その後、天下人とな
った秀吉の差配で、真田の本領は安堵される。
する徳川本隊の猛攻を跳ね返し、徳川本隊を難攻不落の上
田城に釘付けさせて撃退した。ために、秀忠軍は、天下分
け目の戦いに遅参し、決戦に間に合わなかった。家康は激
怒し秀忠を許さなかった。この計二度にわたって、徳川軍
の猛攻をしのいだ名城は、天下にその名を轟かせた上田城
である。
真田家は、昌幸と孫・幸村父子は西軍の石田三成側につ
き、昌幸の嫡子・信之を東軍の徳川方につけて、東西どち
らが勝っても御家存続を担保していた。関ヶ原合戦後、信
之が思惑どおりに上田城へ入城した。信之は妻・小松姫の
父・本多忠勝に頼み込んで、父・昌幸と弟・幸村の助命を
嘆願して、九度山への流罪と刑を軽くすました。だが、こ
の温情が大坂の陣では仇となり、家康は幸村の猛攻にあわ
ゆく命を落としかけた。
家康の七回忌にあたる元和8年(1622)に、信之は
上田から松代10万石に移封された。かわって仙石忠政が、
小諸から上田入りした。さらに宝永3年(1706)には
松平忠周が入り、以後松平氏が幕末まで続いた。現在、仙
石氏時代に築かれた南櫓、北櫓、西櫓が現存している。
『甲陽軍鑑』によると、武田信玄の軍師・山本勘助により
築城された。龍虎の決戦地、川中島は、上杉居城の越後・
春日山からは近く、甲斐・躑躅ケ崎の武田館からは遠かっ
た。信玄は棒道(軍用高速道路)と、最前線に海津城を備
え万全とした。築城前は清野館だった。江戸時代の長くは、
真田10万石の居城であり藩庁が置かれた。つけ加えると、
勘助が実在したどうかは、『甲陽軍鑑』以外の確証はなく
真偽は不明である。
赴任するも、直後に本能寺の変が起こると長可は城を捨て
尾張へ逃げ帰った。すぐに上杉景勝の属城となるも、慶長
3年、景勝が会津転封されると城主は交代した。その後も
紆余曲折は続く。森忠政、松平忠輝(家康6男)、松平忠
昌が酒井忠勝・・・・。
その後、約240年間は、真田氏が代々の城主を務めて明
治維新に至った。幕命により城名を松代城に改名された。
この城には天守台があり、もともと天守が築かれていたが、
早い時期に失われたようで、本丸の四隅に二重櫓が設けら
れていた。時は流れて、昭和56年には、本丸を中心とし
た城址の一部が国の史跡に指定された。平成16には、太
鼓門、堀、石垣、土塁などが復元された。現在、国指定史
跡となっている。
●真田幸隆 ●真田昌幸 ●真田信之 ●真田幸村
●真田信綱 ●武田信玄 ●山本勘助 ●上杉謙信
●徳川家康 ●徳川秀忠 ●上杉景勝 ●本多忠勝
●松平忠周 ●松平忠輝 ●小松姫 ●仙石秀久
●恩田木工 ●酒井忠勝 ●佐久間象山●森 長可
●上田城 ●沼田城 ●小諸城 ●松代城(海津城)
●飯山城 ●井上城 ●葛山城 ●葛城城 ●砥石城
●平賀城 ●屋代城 ●塩田城 ●伴野城 ●岡城
●竜岡 ●名胡桃城●真田館
●川中島合戦 ●上田城攻防戦 ●『真田太平記』池波正太郎