西行法師と藤原定家の恋の歌・京都の公卿・鷹司房輔・自筆「新古今和歌集」茶道具・伊達宗村(仙台藩の第6代藩主)の娘・方子・旧蔵15-B

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    1
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    2019.09.18(水)21:37
  • 終了日時
    2019.09.21(土)21:37
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      出品地域:
      宮城県

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    • 目立った傷や汚れなし
    元禄9年(1696)「新古今和歌集」自筆

    江戸時代の公卿・鷹司房輔(たかつかさ ふさすけ)自筆「新古今和歌集」

    鷹司房輔の娘・信子は、徳川家・第5代将軍・徳川綱吉の正室。房輔は、将軍綱吉の義父。

    出雲・松江藩・第7代藩主・松平治郷(不昧公)正室・方子(よりこ)旧所蔵

    旧・所蔵者・方子(よりこ)は、仙台藩・第6代藩主・伊達宗村の娘


    鷹司房輔は、江戸時代初期の公家。寛文4年摂政。天和2年まで関白

    《西行法師と藤原定家の恋の歌》

    海外展示の際の英文表記は「Shinkokin Wakashu・1696・Princess Yorihime」
    「Imperial Court Takatsukasa Fusasuke・Autograph」(公卿・鷹司房輔・自筆)

    「額縁入原本」


    (自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

    「自筆原本」


    (自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

    自筆中「方子」印は、不昧公・正室「方子」の落款
    玉映の印は、方子の娘「幾千姫(号は玉映)の落款
    花押と落款の詳細は、下記「花押と落款について」欄に記載


    自筆が「古切」とされたのは江戸時代後期。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

    (1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


    《新古今和歌集 卷第十三 戀歌(こひのうた)三》

    《小侍従(こじじゅう)》

    「待(まつ)よひ(宵)に更行(ふけゆく)鐘(かね)の声(こゑ)きけはあかぬ別(わかれ)の鳥(とり)はものかは」(国家大観番号1191)

    藤原知家(ふじわらのともいえ)

    「是(これ)も又なかき別(わかれ)になりやせむ暮(くれ)を待(まつ)へき命(いのち)ならねは」(国家大観番号1192)

    西行法師(さいきょうほうし)

    「有明(ありあけ)は思ひ出(いで)あれや横雲のたゝよはれつるしのゝめの空(そら)」(国家大観番号1193)

    清原元輔(きよはらのもとすけ)

    「大井川いせきの水のわくらはにけふはたのめし暮(くれ)にやはあらぬ」(国家大観番号1194)

    けふと契(ちきり)ける人の、あるかと問(とひ)侍(はべり)けれは

    讀人(よみひと)不知(しらす)

    「夕暮(ゆふくれ)に命(いのち)かけたるかけらふのありやあらすやとふもはかなし」(国家大観番号1195)

    西行法師、人ゝに百首哥よませ侍(はべり)けるに

    定家朝臣(さたいえのあそん)

    「あちきなくつらき嵐(あらし)のこゑ(声)もうしなと夕暮(ゆふくれ)に待(まち)ならひけん」(国家大観番号1196)

    恋歌(こひのうた)とて

    太上天皇(たいじょうてんのう)

    「たのめすは人はまつちの山なりとねなまし物をいざよひの月」(国家大観番号1197)

    水無瀬(みなせ)にて恋十五首哥合に、夕恋といへる心を

    摂政太政大臣(せっしょうたいじょうたいじん)

    (文責・出品者)
    「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



    (2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


    《新古今和歌集 巻第十三 恋の歌三》

    《小侍従(こじじゅう)》

    (現代語訳文)「通ってくる人を待つ宵に、夜の更けていく時を告げる鐘の声を聞くと、満足しないで別れる夜明けを告げる鶏(にわとり)の声はものの数であろうか、ものの数ではない。」(国歌大観番号1191)

    藤原知家(ふじわらのともいえ)

    (現代語訳文)「この今朝(けさ)の別れも、また長い別れになることであろうか。暮れを待つことのできる命ではないから。」(国歌大観番号1192)

    西行法師(さいぎょうほうし)

    (現代語訳文)「有明けの月を見ると、思い出があることだ。あの時の、横雲が漂いはじめていて、その横雲のように、別れるのがためらわれた、しののめ時(どき)の空よ。」(国歌大観番号1193)

    清原元輔(きよはらのもとすけ)

    (現代語訳文)「たまさかに、今日の夕暮れは、あなたが逢おうと約束してあてにさせた夕暮れではないのか。」(国歌大観番号1194)

    今日逢おうと約束していた人が、「いるか」と問いましたので

    読人しらず

    (現代語訳文)「夕暮れに命を託する蜻蛉(かげろう)のように、今日の夕暮れに命を託していたはかない身ですのに、生きているかいないかとお問いになるのも、たよりないことです。」(国歌大観番号1195)

    西行法師が人々に百首の歌を詠ませました時に

    藤原定家朝臣(ふじわらのさだいえのあそん)

    (現代語訳文)「興(きょう)がなく、薄情に聞こえる嵐の音もいやだ。どうして、夕暮れに人を待つならわしになったのであろうか。」(国歌大観番号1196)

    恋の歌として

    太上天皇(後鳥羽天皇)

    (現代語訳文)「逢おうと約束してあてにさせなかったならば、人を待つという名の待乳山(まつちやま)であっても寝てしまうであろうに、ためらって寝られないで見ている十六夜(いざよい)の月よ。」(国歌大観番号1197)

    水無瀬で、恋の十五首の歌合に、「夕べの恋」といった趣を

    摂政太政大臣(せっしょうだいじょうだいじん)

    出典:日本古典文学全集「新古今和歌集」小学館・刊

    備考1:「西行法師(さいぎょうほうし)」の俗名は、佐藤義清(のりきよ)。1118年、現在の和歌山県那賀郡打田町で誕生。平将門の乱を平定した鎮守府将軍・俵藤太(藤原秀郷)の流れをくむ武門の家柄で、義清は俵藤太秀郷の九代の裔にあたる。同じく秀郷の流れをくむ奥州藤原氏とは遠縁。母は監物源清経の女(むすめ)。18歳から北面の武士として鳥羽院に仕える。同僚には平清盛がいた。西行と清盛は同い年で友人であった。1140年、23歳で突然、出家。法名は円位。西行と号した。しばらくは京内外に居住。のち、陸奥(みちのく)平泉へ歌枕を訪ねる旅に出、それから数年の後、高野山に入る。以後30年ほど、高野山を拠点に諸国を遍歴。吉野にも赴き、熊野も訪れ、中国・四国にも旅し、各地で数々の歌を詠んだ。源平戦乱の時期は伊勢に疎開。1186年には再び陸奥へ。途中、鎌倉では将軍源頼朝と会談した。

    備考2:「藤原定家(ふじわらのさだいえ)」は、「ていか)」とも言い、京極中納言ともいう。応保二~仁治二(1162~1241) 。定家の父は藤原俊成、母は藤原親忠女(美福門院加賀)。同母兄に成家、姉に八条院三条(俊成卿女の生母)・高松院新大納言(祗王御前)・八条院按察(朱雀尼上)・八条院中納言(建御前)・前斎院大納言(竜寿御前)がいる。子に因子(民部卿典侍)・為家ほかがいる。寂蓮は従兄。応保二年(1162)、俊成(当時は顕広)49歳の時の子として生れる。仁安元年(1166)、叙爵し(五位)、高倉天皇の安元元年(1175)、14歳で侍従に任ぜられ官吏の道を歩み始めた。治承三年(1179)三月、内昇殿。同四年(1180)正月、従五位上に昇る。養和元年(1181)、20歳の時、「初学百首」を詠む。この年以後、式子内親王の御所にたびたび出入りするようになる。翌年父に命ぜられて「堀河題百首」を詠み、両親は息子の歌才を確信して感涙したという。文治五年、左近衛権少将に任ぜられ、翌年には従四位下、建久六年(1195)には従四位上に進んだ。この間、因幡権介を兼任している。正治二年(1200)十月、正四位下に昇る。建仁元年(1201)正月、病の式子内親王を見舞う。同年十月、院の熊野御幸に供奉。十一月、『新古今和歌集』の撰者に任命される。同二年十月、念願の左近衛権中将の官職を得る。元久二年(1205)、新古今和歌集が一応の完成を見、三月には竟宴が催された。承元三年(1209)、将軍源実朝の歌に合点を加える。承元四年(1210)、内蔵頭の地位を得る。建暦元年(1211)従三位に叙せられ、侍従となる。建保二年(1214)には参議に就任し、翌年伊予権守を兼任した。この頃、順徳天皇の内裏歌壇でも重鎮として活躍。建保六年(1218)、民部卿となる。承久元年(1219)七月、内裏百番歌合に出詠。承久三年(1221)五月、承久の乱が勃発、院は隠岐に流され、定家は西園寺家・九条家の後援のもと、社会的・経済的な安定を得、歌壇の第一人者としての地位を不動のものとした。貞応元年(1222)、従二位に叙せられる。安貞元年(1227)、正二位。貞永元年(1232)正月、権中納言に就任。同年六月、後堀河天皇より歌集撰進の命を受ける。嘉禎元年(1235)三月、浄書した新勅撰集を九条道家に献ずる。五月、宇都宮頼綱のもとめにより嵯峨中院山荘の障子色紙形を書く(いわゆる「小倉色紙」)。これが『小倉百人一首』の原形となった。


    「自筆の画像断層写真」
    海外展示に際し、「Shinkokin Wakashu・1696・Princess Yorihime」と表示されております。


    (断層画像MRI 071551―1696―N―13―15―B

    自筆中の印は、不昧公・正室「方子」「せい楽(青へんに杉の字の右を書く)」
    の印2つと娘・幾千姫(玉映)の落款


    「自筆上巻表書の落款と奥付の年号」
    上巻表書の「新古今和歌集」の題の左下に「不味公・正室・方子」の落款、奥付に「元禄九年(1696)の年号」の下に鷹司房輔の花押、その右側に仙台藩医・木村寿禎と松平治郷(まつだいらはるさと)の正室・方子(よりこ)の号「方子」落款が押捺されている。


    写真右から「新古今和歌集」下巻の表書、中央の写真は漢文で記された「真名序」末尾部分と年号。左端の写真は「元禄九年(1696)の年号」の入った奥付の拡大写真。上の印は、仙台藩医・木村寿禎の落款、一番下の印は松平治郷(まつだいらはるさと)の正室・方子の落款。中央は方子の娘・幾千姫(玉映)の落款。
    年号下の署名は、鷹司房輔(たかつかさ ふさすけ)の花押。


    1・自筆の「所蔵来歴」について
    自筆原本の奥扉には、「鷹司房輔」の花押がある。鷹司房輔(たかつかさ ふさすけ)は、寛永14年生~元禄13年没。房輔は、江戸時代初期の公家。
    自筆は、鷹司房輔が59歳の時に書き終えたものである。心を鎮めるために「茶」をたしなむような心情で「新古今和歌集」を書き進めたいたのではないかと推定されている。
    各自筆には「方子」及び「幾千姫(きちひめ)」落款の押捺があることから、鷹司家から松江藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)が入手し、その後、治郷の正室・方子(よりこ)から娘・幾千姫(きちひめ・号は玉映)に渡り、のち仙台藩に伝来したことがわかる。
    ただし、方子の父・伊達宗村(仙台藩の第6代藩主)は、茶道具を収集し同時に優れた文人として和歌をたしなんでいたことから、方子の嫁入の道具として松平家に持参したという研究者もいる。
    松江藩の江戸邸(赤坂)と仙台藩の江戸・上邸(麻布十番)は近くにあるため、往来は頻繁にあり「自筆」は、茶会の「道具」として活用されたものである。
    松平治郷の正室・方子(よりこ)は、伊達宗村(仙台藩の第6代藩主)の娘である。松平治郷《宝暦元年2月14日(1751年3月11日)~文政元年4月24日(1818年5月28日)》は、松江藩の第7代藩主であり、江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)という。自筆の奥書に記された「元禄九年(1696)」の年号から、自筆の最初の所蔵主は「松平治郷」であることがわかる。
    「新古今和歌集」上巻末尾に松平治郷(まつだいらはるさと)の正室・方子(よりこ)の号「方子」と方子自身の他の号である「せい楽(せいという字は青へんに杉の字の右を書く)」の落款が押捺されている。

    「額縁裏面のラベルの表示、及び鷹司房輔・自筆(東京国立博物館・所蔵)、並びに公家事典」

    海外展示の際、額縁の下に断層写真が掲示されます。
    日本では断層写真による掲示の事例がないため、国内
    展示用に準拠し、額縁の裏面に下記ラベル(上段)を貼付します。
    鷹司房輔の娘・信子は第五代将軍・徳川綱吉の正室(公家事典)


    1・鷹司房輔の自筆
    上記3枚の写真のう中段の写真は、鷹司房輔・自筆「徒然草画帖・詞」(東京国立博物館所蔵)
    「東京国立博物館・徒然草画帖」をご覧ください。

    2・裏面ラベルの表記について
    自筆は、海外展示の際、「Shinkokin Wakashu・1696・Princess Yorihime」と記載されております。「Yorihime」と記される「方子(よりひめ)」の父は、仙台・六代藩主・伊達宗村です。「方子(よりこ)」は、不昧公の正室として嫁ぐ前「方姫(よりひめ)」と呼ばれていたことから、海外展示の際には「方姫(よりひめ)」の英文表記で記されております。
    鷹司房輔は、公卿であり本来、筆者として「Shinkokin Wakashu・1696・Imperial Court Takatsukasa Fusasuke・Autograph」と表記される場合と海外では女性の所蔵に力点が置かれておりましたため、「Shinkokin Wakashu・1696・Princess Yorihime」とのみ表記される場合がありました。海外展示の例を踏襲し両方を併記いたしました。

    3・鷹司房輔は徳川家・第五代将軍・徳川綱吉の義理の父
    鷹司房輔の娘・信子は、第五代将軍・徳川綱吉の正室として知られております。このため徳川綱吉の義理の父として徳川幕府と交流を深めていた。(出典・「公家事典」86頁「鷹司家」吉川弘文館)


    出品者の家で代々所蔵している元禄9年(1696)「新古今和歌集」自筆を出品
    商品説明 元禄9年(1696)「新古今和歌集」の和歌の自筆〔古切〕です。
    貴重な「新古今和歌集」自筆を身近なものとして鑑賞することができます。
    元禄9年(1696)「新古今和歌集」は、本来「上巻と下巻」がありますが、上巻の半分(巻七以下)と下巻の大半については、茶会用に仙台藩に貸し出されておりました。その後、仙台藩の「廃城令」による廃城によってこの貸出分が消息不明になっております。
    自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにある。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「新古今和歌集」の文字が記されている。
    出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
    古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」されている。撮影後、展示のために再表装をしている。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっている。
    断層(MRI)写真 1・断層画像解析について
    従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡などが中心。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができる。

    2・自筆の鑑定・解析・識別方法について
     国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
    一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
    日本では、国宝の中にも「伝」という文字がつく場合が多くありますが、問題は元になるデータが少ないほど解析が難しくなります。
    花押と落款 1・花押と落款について
    花押(署名)や落款(印)は、時代や年代と共に変化していきます。諱(いみな)を避けるために改名する場合があり、それと共に花押と落款も変化していきます。ちなみに、松平治郷(不昧公)の花押は十数種類確認されており、それぞれが「花押・落款辞典」等に掲載されておりますので、容易に検索することができます。政治的に使用以外の私的な目的で使用される花押や落款は、確認が難しく指紋照合や筆跡照合と同様にコンピューターで確認照合する時代となっております。花押と落款の識別についても、上に記載いたしました「筆者識別(Handwriting Analysis)」のデータベースを活用して「識別」しております。
    寸法 自筆の大きさ タテ23.0センチ ヨコ15.5センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチです。額縁は新品です。周辺の白い線はストロボ撮影による光の反射光で傷ではありません。
    解読文 自筆の「現代語訳解読文(通行訳)」は、「日本古典文学全集」「新古今和歌集」(小学館:刊)に記されております。
    稀少価値・来歴 出品した「新古今和歌集」自筆は、和歌だけの断片です。このような断片を「古切」といいます。貴重な和歌を断片化し、「手鑑」にして鑑賞していたものです。「新古今和歌集」は、元来一帖であり、後の時代に巻物となり、さらに時代が下り、主な和歌は「手鑑」となり、一部は、「屏風立て」や「掛軸」となって鑑賞されていたものです。
     原本は、ほかの自筆との識別・分類・照合をするための「手鑑(てかがみ)」として用いたものです。
    和歌ごとに「古切」となっているのは、こうした理由によるものです。また、自筆の断簡の数が多くなると、自筆の分類をするために基本となる「手鑑」によって識別をします。現在は、写真によって識別・鑑別をすることができますが、写真のない時代には「手鑑」によって識別・鑑別をしておりました。
    古来、「手鑑」は、鑑定の「つけ石」として活用され、人の目に触れることはありませんでした。「手鑑」は、本来、自筆切の和歌の右上に「極付(きわめつけ)」という札を貼り付け、その下に落款を押捺します。この札は、別名「題箋(だいせん)」ともいいます。木村寿禎は「極付」のつもりで落款を押捺したと推定されております。
    HP 出品者の家で代々所蔵している元禄9年(1696)「新古今和歌集」の断簡(断片)のうち、海外展示の終了した自筆を「海外展示状態」の「額縁付」で出品をいたしました。出品作品以外の所蔵品を紹介した 「源氏物語の世界」をご覧ください。ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。


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