●メーカー案内より 1951年、オランダに生まれたフェルトハウスは、まずロックでその音楽キャリアをスタート、入学したフローニンゲン音楽院では作曲だけでなく、電子音楽も専攻。そんな彼が、古典中の古典である『神曲』の「天国篇」を現代的なポップ感覚と、コンピューター・グラフィックを駆使した視覚イメージによって「ビデオ・オラトリオ」という、他に類を見ない形式で仕上げたのがこの作品。ボッテチェルリ以来、絵画や音楽の世界でも、『神曲』をさまざまに解釈し表現する試みがなされてきたが、ここでのフェルトハウスの奔放さ、大胆さには誰もがあっと驚くに違いない。ダンテとベアトリーチェが天上に向かう様子をイメージして描いた第1曲〈噴射 To Ignition〉から第4曲〈月星天 Cielo della Luna〉では、なんとアポロ12号宇宙船搭乗員と地球ステーションとの交信会話を、オーケストラの生演奏が伴奏。未知の宇宙空間を進み、人類で二番目に月へ到達したアポロのクルーたちから沸き起こる歓声が、そのままダンテ(トム・アレン)とベアトリーチェ(クラロン・マクファーデン)の歌にオーバーラップしてゆく。第5曲〈天からの声 Sound from Heaven〉では俳優演じる若いエヴァンゲリスト(福音伝道者)が画面に登場。大聖堂に集まった人々に向かって、思いっきりラップのノリで「天からの教え」を絶叫する。第14曲〈麻薬の天 Heaven of Narcotics〉では天才トランペッター&ヴォーカリストとしてその名を轟かせながら、麻薬中毒の深みにはまり、破滅的な一生を送った悲劇のジャズメン、チェット・ベイカーがまばゆい光の中に映し出される。「至福の喜びよ、終わらないで...」と意味深長につぶやくチェット・ベイカーのうつろな目は何を意味するのだろうか?驚くのは、天上の天使たちの奔放な性を描く第9曲〈欲望の天 Heaven of Lust〉だろう。セックスの快楽に身もだえし、大声で喘ぐ女性(=天使)のフルヌードが画面に大写し! サンプリング音声は「あぁ--ン、お--、イエ--ス、オー・マイ・ゴッド! 」の絶叫。ポルノチックな音声をまるでレシタティーヴォのように扱って、声の起伏にぴったり合わせた変拍子のオーケストラ伴奏が書かれているのにも恐れ入るが、指揮者以下、それを大まじめに演奏しているのもどこか可笑しい。第15曲〈至高天 Empireo〉は全曲を締めくくる壮大なフィナーレ。まばゆいばかりの光に満ちた世界が写し出される。映画『未知との遭遇』のラストに出てくる巨大宇宙船を思い起こさせるような強烈な輝きに目がくらむ。響き渡るのは、パレストリーナの《教皇マルチェルスのミサ》。大オーケストラと合唱のために編曲されたヴァージョンである。まさに神々が宿る「至高の天」にふさわしい、気宇壮大な幕切れだ。ダンテ + ポップ・カルチャー = パラディソ?原作が『神曲』だけに、ともすればフェルトハウスの試みがあまりにもエンターテインメントに寄りすぎている、と非難するのは容易だが、ダンテはもともと、より多くの人に読んでもらいたいがため、ラテン語ではなく、今でいう「口語」にあたるイタリア語(正確にはトスカーナの地方言語だったらしい)で『神曲』を書いたことを忘れてはいけない。マンガ版の『神曲』(永井豪)が発表されたりするのも、ダンテが時代を超えたエンターテインメント性を持ち合わせていたからなのだろう。音楽における文学性を過剰なまでに意識していたフランツ・リストの《ダンテ交響曲》とは異なるスタンスの上に成立しているのだ。古典である『神曲』を開き直ってポップ・カルチャーの語法で表現しているのがフェルトハウス版「パラディソ」だということができるだろう。
ヤコブ・テル・フェルトハウス(1951- ):
ビデオ・オラトリオ《パラディソ》 ―― ダンテ『神曲』第3部「天国篇」より
テキスト:ダンテ・アリギエーリ、ヤコブ・テル・フェルトハウス
ソプラノ、テノール、女声合唱と管弦楽のためのビデオ・オラトリオ
2001年9月12日 オランダ・フローニンゲンにて初演/13-14日の再演をライヴ収録
クラロン・マクファーデン(ソプラノ - ベアトリーチェ)
トム・アレン(テノール - ダンテ)
カレル・ゲリツマ(サンプリング音源)
北オランダ・コンサート合唱団
北オランダ管弦楽団
アレクサンダー・リーブレイヒ(指揮)
ヤープ・ドラップスティーン(映像ディレクター)
Pulsatuビデオ・プロダクション・チーム(ビデオ画面作成)
画面:16/9(ワイド・スクリーン)
音声:ドルビーサラウンド 5.1ch & ステレオ2ch(メニュー選択)/字幕:英語、ドイツ語、フランス語(メニュー選択)/地域コード:ALL/両面ディスク(NTSC/PAL)/解説書:40ページ(英語、ドイツ語、フランス語)
書き下ろしコメント+日本語曲目表示オビ付き
●メーカー案内より
1951年、オランダに生まれたフェルトハウスは、まずロックでその音楽キャリアをスタート、入学したフローニンゲン音楽院では作曲だけでなく、電子音楽も専攻。そんな彼が、古典中の古典である『神曲』の「天国篇」を現代的なポップ感覚と、コンピューター・グラフィックを駆使した視覚イメージによって「ビデオ・オラトリオ」という、他に類を見ない形式で仕上げたのがこの作品。ボッテチェルリ以来、絵画や音楽の世界でも、『神曲』をさまざまに解釈し表現する試みがなされてきたが、ここでのフェルトハウスの奔放さ、大胆さには誰もがあっと驚くに違いない。ダンテとベアトリーチェが天上に向かう様子をイメージして描いた第1曲〈噴射 To Ignition〉から第4曲〈月星天 Cielo della Luna〉では、なんとアポロ12号宇宙船搭乗員と地球ステーションとの交信会話を、オーケストラの生演奏が伴奏。未知の宇宙空間を進み、人類で二番目に月へ到達したアポロのクルーたちから沸き起こる歓声が、そのままダンテ(トム・アレン)とベアトリーチェ(クラロン・マクファーデン)の歌にオーバーラップしてゆく。第5曲〈天からの声 Sound from Heaven〉では俳優演じる若いエヴァンゲリスト(福音伝道者)が画面に登場。大聖堂に集まった人々に向かって、思いっきりラップのノリで「天からの教え」を絶叫する。第14曲〈麻薬の天 Heaven of Narcotics〉では天才トランペッター&ヴォーカリストとしてその名を轟かせながら、麻薬中毒の深みにはまり、破滅的な一生を送った悲劇のジャズメン、チェット・ベイカーがまばゆい光の中に映し出される。「至福の喜びよ、終わらないで...」と意味深長につぶやくチェット・ベイカーのうつろな目は何を意味するのだろうか?驚くのは、天上の天使たちの奔放な性を描く第9曲〈欲望の天 Heaven of Lust〉だろう。セックスの快楽に身もだえし、大声で喘ぐ女性(=天使)のフルヌードが画面に大写し! サンプリング音声は「あぁ--ン、お--、イエ--ス、オー・マイ・ゴッド! 」の絶叫。ポルノチックな音声をまるでレシタティーヴォのように扱って、声の起伏にぴったり合わせた変拍子のオーケストラ伴奏が書かれているのにも恐れ入るが、指揮者以下、それを大まじめに演奏しているのもどこか可笑しい。第15曲〈至高天 Empireo〉は全曲を締めくくる壮大なフィナーレ。まばゆいばかりの光に満ちた世界が写し出される。映画『未知との遭遇』のラストに出てくる巨大宇宙船を思い起こさせるような強烈な輝きに目がくらむ。響き渡るのは、パレストリーナの《教皇マルチェルスのミサ》。大オーケストラと合唱のために編曲されたヴァージョンである。まさに神々が宿る「至高の天」にふさわしい、気宇壮大な幕切れだ。ダンテ + ポップ・カルチャー = パラディソ?原作が『神曲』だけに、ともすればフェルトハウスの試みがあまりにもエンターテインメントに寄りすぎている、と非難するのは容易だが、ダンテはもともと、より多くの人に読んでもらいたいがため、ラテン語ではなく、今でいう「口語」にあたるイタリア語(正確にはトスカーナの地方言語だったらしい)で『神曲』を書いたことを忘れてはいけない。マンガ版の『神曲』(永井豪)が発表されたりするのも、ダンテが時代を超えたエンターテインメント性を持ち合わせていたからなのだろう。音楽における文学性を過剰なまでに意識していたフランツ・リストの《ダンテ交響曲》とは異なるスタンスの上に成立しているのだ。古典である『神曲』を開き直ってポップ・カルチャーの語法で表現しているのがフェルトハウス版「パラディソ」だということができるだろう。