以上の状況からお判りいただけるのは、この年はワールドワイドなツアーは行なわず、スポット的なイベントへの出演とこのフュージョンユニットで短期ツアーを行なった以外、正規のソロツアーはこの日本公演とウォームアップを兼ねた直前のソウル公演しか行わなかったということです。なぜならこの年、クラプトンは92年から6年越しで製作に取り掛かっていた、亡き息子さんへのメモリアル・アルバム(翌年に「PILGRIM」としてリリースされました)のレコーディングを続けており、それに注力していたからでした。本来ならアルバム製作に没頭したいところだったと察せられますが、ジャパンツアーに関しては「2、3年に一度」が恒例化しており、95年の来日時に97年のブッキングをしていたため実施されたものと考えられます。そしてこのユニットへの参加は、アルバム製作中のちょっとした息抜き的なものだったのかもしれません。この97年時はまだアルバムのミックスダウンが終わっていない段階でしたが、既にこのステージでは、アルバムに収録されるGoing Down Slowをアルバムと同アレンジでプレイしていることに注目です。また、同じくブルースの Third Degreeや Every Day I Have The Blues、そして歌もののLaylaまでをセットインしていることを考えると、バンドメンバーが「意外なゲスト」クラプトンに敬意を表していたことが分かります。さらにはRuthieは、クラプトンの娘さんに捧げてミラーが特別に書き下ろしたナンバーでした。こうしたことを見ると、メンバーはクラプトンと共演できることが嬉しくて仕方なかったのでしょう(この後クラプトンはミラーのアルバムに参加しますし、サンプルはこの後のジャパンツアーのキーボードに抜擢されました)。ミラーがクラリネットで伴奏するLaylaなんて、ここでしか聴けない、観られないパフォーマンスです。これ以降二度と実現していない、超一流のミュージシャンによる奇跡のステージをお楽しみください。