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製品情報 | スペック・価格相場を見る |
状態 | 目立った傷や汚れなし |
個数 | 1 |
返品 | 返品不可 |
自動延長 | なし |
早期終了 | あり |
入札者評価制限 | あり |
入札者認証制限 | あり |
落札者 | ログインして確認 |
開始価格 | 4,400 円(税 0 円) |
開始日時 | 2024.04.03(水)05:54 |
終了日時 | 2024.04.04(木)21:24 |
オークションID | d1130631387 |
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20歳のブラームスが作曲家となる希望を抱いてデュッセルドルフのシューマン家を訪れた1853年から
クララの死の直前の1896年までに交わされた800通余りをリッツマンが編んだ書簡集から、
207通を精選したのが本書である。
R. シューマンの悲劇的な病と死ののち、クララは7人の遺児を育てながら休みなく演奏旅行を続け、
ブラームスは地理的にはクララから隔たりながらも彼女をつねに支え、
また支えられて、己の天才を開花させていった。
高名な音楽家の未亡人であるスター・ピアニストと14歳年下の作曲家――
彼らの友情のために用意された道はけっして平坦なものではなかったが、
音楽という共通の人生の糧を分け合う心の往還は44年にわたって途絶えることはなかった。
訳者は昭和16年に『真実なる女性 クララ・シュウマン』を上梓した原田光子。
70年以上読み継がれてきたこの評伝に続いて、本書の翻訳原稿を完成させてまもなく、若くして世を去った。
一度は本になったものの、ながらく手に入らなくなっていた、待望の復刊。