金沢藩知事 前田慶寧関連文書/古文書【23-1122-7】

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金沢藩知事 前田慶寧関連文書/古文書【23-1122-7】

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    開始日時 2024.04.28(日)09:36
    終了日時 2024.05.04(土)00:06
    オークションID c1129357249

商品説明

【状態】汚れ、痛み、破れ、シミ、ヤケ、18.2×53.2cm
 
【翻刻】
今般、金澤藩知事被為蒙
宣下候、就而ハ内外之区分可被立
儀ニ付、指向藩庁之儀者、他江御移
之筈ニ候、 御住居之儀者、諸藩ニも
追々城外住居にも相成候哉ニ相聞得、
且者 御家政向御改革も難被為
行届ニ付、巽 御殿等内江御移被成
候而者如何可有之哉、猶更下士以上之
人々見込被 聞召度旨被
仰出候、
 
但、前段之通被成候得ハ、 御城
義ハ当分 御番城被成置、
追々御改革も被為遊候上ハ、是迄
之通、 御城ニ 御住居被成候而も
可宜哉、是等之儀も見込被
聞召度旨被 仰出候、
 
右之通被 仰出候条、見込有之人々ハ、
書取ニ為相認、支配人江取立、来月
六日会議局江可被指出候、書取ニ而
難篇(ヘンジ)人々ハ、同日右局江罷出申述
候様、可被申談候事、
  九月
 
【読み下し】
今般、金澤藩知事宣下を蒙らせられ候、ついては内外の区分立てらるべき儀につき、指し向かい藩庁の儀は、他へ御移りのはずに候、御住居の儀は諸藩にも追々城外住居にも相成り候やに相聞こえ、かつは御家政向き御改革も行き届かせられ難きにつき、うやうやしく御殿などの内へ御移り成され候ては如何これあるべきや、なおさら下士以上の人々見込み聞し召されたき旨、仰せ出だされ候、
ただし前段の通り成され候えば、御城の儀は当分御番城に成し置かれ、追々御改革も遊ばされ候上は、これまでの通り御城に御住居成され候ても、よろしかるべきや、これらの儀も見込み聞し召されたき旨、仰せ出だされ候、
右の通り仰せ出だされ候条、見込みこれある人々は、書き取りに相したためさせ、支配人へ取り立て、来月六日、会議局へ指し出さるべく候、書き取りにて返じ難き人々は、同日右局へ罷り出で申し述べ候様、申し談ぜらるべく候事、
 
【現代語訳】
今度、(前田慶寧が)金沢藩知事の宣下を受けられました。
つきましては、(藩庁と住居の)内外の区分をするべきことについて、当面は藩庁が他へお移りになるはずです。
ご住居のことは、諸藩においても追々城外の住居に住むようになるのではないかと聞いています。
一方で、御家政のことは御改革が行き届きにくいので、うやうやしく御殿などの内へお移りになってはいかがなものでしょうかと、特に下士(下級武士)以上の人々の見解をお聞きになりたいと、仰せになりました。
ただし、前に述べたようになさったならば、御城のことは当分は御番城(兵士が守備している城)にして、追々御改革もなされるので、これまで通りに御城に住んでもよろしいのでしょうか、これらのことも見解をお聞きしたいと、仰せになりました。
右の通りに仰せになったので、見解のある人々は、文書を書かせて、支配人へ用意して、来月六日、会議局へ提出してください。
文書を書くのが難しい人々は、当日に会議局へ参上して申し述べるように、相談してください。
 
【解説】
明治二年(1869)九月と推定される文書。
金沢藩知事に任命された前田慶寧が、藩庁、城や自分の住居などについて人々に諮問している内容。
文書の書けない人々からの意見も募っていることが特徴的である。
藩知事は明治二年の版籍奉還の結果、新政府が各藩に置いた地方長官である。
同年六月、「知藩事」の呼称で旧藩主をそのまま任命したが、翌月「藩知事」と改称された。明治四年(1871)、廃止された。
 
前田慶寧(まえだ・やすよし 183074)
幕末・維新期の加賀国金沢藩主。十三代藩主斉泰の嫡男。天保元年(一八三〇)五月四日江戸に生まれる。母は正室溶(景徳院)。幼名犬千代。同十二年十二月又左衛門利住と称し、十三年二月正四位下左近衛権少将兼筑前守に任じ、徳川家慶の偏諱をもらって慶寧と改めた。嘉永五年(一八五二)十二月権中将、安政五年(一八五八)十一月正四位上に昇り、慶応二年(一八六六)四月家督を相続して加賀守を称し、五月参議となる。明治二年(一八六九)六月版籍を奉還して金沢藩知事となり、七月従三位、四年七月廃藩によって、八月十一日金沢を発して東京に移住した。慶寧は世子の時、元治元年(一八六四)斉泰の名代として上洛し長州征討の中止を主張して周旋したが、禁門の変が起るに至ってついにみずから退京した。このため朝・幕双方に背いた結果となり、斉泰は慶寧を謹慎させ、随従の士や尊王攘夷派をことごとく処罰した。謹慎は翌慶応元年三月に解かれ、同二年襲封以後は自立割拠の方針をとって内治に励み、洋式の軍制改革を進め、同三年から金沢近郊の卯辰山に藩営の病院・救貧施設や各種工房を建設する事業を興した。戊辰戦争に際しては当初幕府方へ援軍を送ろうとしたが、京都の情勢を知って急遽勤王に転じ、官軍として北越地方に兵を送り、また多大の軍需品を献納した。肺を病んで明治七年五月十八日療養地熱海で死去。四十五歳。諡は恭敏公。東京日暮里に神葬。明治二十六年七月従二位を追贈された。
(『国史大辞典』)

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