◎ジョニ・ミッチェル&ジャクソン・ブラウン "JONI & JACKSON N ENGLAND" [from "Melody Maker" magazine (US edition issued on May/8th/1972)]
◎海外雑誌全面広告(『メロディー・メイカー』紙(US版)/広告紙面実寸(デザインとしての余白部分含む): 38.0 X 28.5cm】
★★★デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツという二人の敏腕マネージャーによって1971年に創立された『アサイラム』レーベルは、有望な新人ミュージシャンを多数傘下に集め、翌72年から猛烈なレコード・リリースと米英でのコンサート活動を決行。実際、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、JDサウザー、トム・ウェイツなどの新しいスターたちは、同時期にアサイラムに招聘されたジョニ・ミッチェルやリンダ・ロンシュタットなど大物とのブッキング・ツアーを経て生まれたとも言えます。中でもこのジョニ・ミッチェルとジャクソン・ブラウンの英国でのジョイント・コンサートは当時アサイラムの目玉イベントでもありました。実はジョニ自身はアルバム『ブルー』リリース後はしばらくライブなど表立った活動に消極的になっており、アサイラムへの移籍は心機一転の意味合いがあったようです。ただ、後に彼女が吐露したように、同じ英国でのジョイントでもジェームス・テイラーとの場合とは対照的に、このジャクソン・ブラウンとの縁はあまり喜ばしいものではなかったと思われ、メディアで回顧されることはほとんどありませんでした。もっとも、この当時まだ『Doctor My Eyes』の小ヒット程度の知名度しかなかった駆け出しのブラウンとしてみれば、ジョニとの釣り合いを取るためそれ相応の背伸びが必要だったのかもしれません。いずれにしろ、本人らは今更あまり見たくない広告のはずですが、ファンにとっては資料的に大変貴重なものです。