作家 日本の画家・工業デザイナー 田辺俊之 タナベトシユキ | ||||||||
略歴 | ||||||||
1953年 | 静岡県三島市に、生まれる。 | |||||||
小学校6年の時、朝日新聞に詩「忘れ物」掲載される。 | ||||||||
1968年 | 2月第27回全国教育美術展で、版画佳作賞受賞される。 | |||||||
1972年 | バンタンデザイン研究所、武蔵野美術短期大学にて、広告デザイン・油絵・彫刻・等を学ぶ。 | |||||||
新聞、雑誌等に漫画を発表する。 | ||||||||
1975年 | トイスデザイナーとして、玩具を手懸ける。彫刻・ポスター・工業デザイン・商業デザイン・油絵・漫画等手懸ける。 | |||||||
地方紙、新聞の編集に参加。又、企業社内報に、連載小説を発表する。その他依頼により、200号油絵壁画制作、 | ||||||||
静岡県沼津インターそばの、レストラン「バラライカ」の正面入り口の両脇に兄と共に、トーテンポールを制作、設置する。 | ||||||||
1977年 | 玩具業界を発端に一大ブームを作った「モグラたたきゲーム」のプロジェクトに参加。デザインを手懸ける。 | |||||||
1978年 | スーパーカーブームを作った、ミニミニカーシリーズ等の設計、デザイン参加。 | |||||||
1980年 | トイスデザイナーとして、アメリカントイフェアに参加。米国を廻る。 | |||||||
(ニューヨーク・ニュージャージ・ラスベガス・サンフランシスコ・ハワイ) | ||||||||
1981年 | 三島市教育委員会(静岡県)より依頼の国指定史跡「山中城跡」のパンフレット俯瞰図を手懸ける。 | |||||||
1986年 | 1月油絵、初個展。(三島市ギャラリープラザ) | |||||||
1987年 | 9月三島市教育委員会(静岡県)より依頼の文化財イラストマップを手懸ける。 | |||||||
1989年 | 9月フランス、ル・サロンに油絵2点入選する。(フランス、パリ・グランパレ) | |||||||
(フランス革命200年祭の為、9月にずれる。) | ||||||||
1990年 | 5月渡仏・2カ月パリ滞在する。12月第10回富嶽文化賞展入選する。(静岡県立美術館) | |||||||
1991年 | 9月三島市教育委員会(静岡県)より依頼の生涯学習イラストマップを手懸ける。 | |||||||
1992年 | 1月三島市教育委員会(静岡県)より依頼の国指定史跡「山中城跡」全面改訂俯瞰図を手懸ける。 | |||||||
1994年 | 10月第2回日本芸術家精鋭展 招待出品(東京渋谷東急プラザ) | |||||||
1995年 | 5月富士のふもとの作家展 企画展出品(富士美術館)静岡県 | |||||||
1996年 | 7月第28回第三文明展 奨励賞受賞(東京都美術館) | |||||||
12月第13回富嶽ビエンナーレ展入選(静岡県立美術館) | ||||||||
1997年 | 6月第45回三島市美術展 教育委員長賞受賞(三島市民生涯学習センター) | |||||||
1999年 | 10月第37回個展(静岡県駿東郡清水町 柿田川美術館) | |||||||
2008年 | 月刊雑誌「ホット☆ほっと」の表紙イラスト1号~5号を制作、編集を手懸ける。 | |||||||
2009年 | 3月画集「アーティストが表現する裸婦」104名の中に選ばれる。 | |||||||
ARTBOX出版社、全国の都道府県立美術館・図書館に所蔵。 | ||||||||
2010年 | kkベストセラーズ社雑誌「一個人」「保存版特集・戦国武将の城入門」にイラスト掲載される。 | |||||||
2011年 | kkベストセラーズ社雑誌「一個人×歴史人」「完全保存版・戦国武将の城」にイラスト掲載される。 | |||||||
個展各地で多数開催。通算76回個展 他、グループ展、二人展、等 | ||||||||
主な仕事 | ||||||||
原案とデザインを担当した | ||||||||
1977年制作のバンダイとの共同開発商品「モグラたたきゲーム」は日本で全国的にブームになり、年間100万個売れる | ||||||||
ヒット商品になり、100万個は数年続いた。40年たっても、リニューアルされながら売れている。 | ||||||||
その後、「ウルトラマン怪獣たたきゲーム」、「ごきぶりたたきゲーム」を制作するが、パットしなかった。「ごきぶりたたき | ||||||||
ゲーム」はデパートの店員さんが嫌がって、散々だった。 | ||||||||
工業デザイナーとして他の中には、米国向けの防煙マスクのデザイン等を手懸けた。 | ||||||||
三島市教育委員会より依頼の国指定史跡「山中城跡」の俯瞰図は | ||||||||
発掘調査の団長だった日大教授より「君の描いたものが全国の人々が見るのでよろしく」と言われ、障子堀1つ1つを | ||||||||
数を間違えないように、長靴を履いて山を歩いてスケッチした。と述懐している。 | ||||||||
天正18年(1590年)4万の豊臣軍が4千の北条勢に向けて総攻撃をかけてわずか1日で落城した城です。 | ||||||||
その後、城跡の中に百姓が畑を作り、市が買収しながら発掘を進めていきました。 | ||||||||
最初の俯瞰図を描いてから11年後に改訂版を制作したのは、買収が終わり綺麗になったのと、最初に描いた原画を | ||||||||
役所がなくしてしまい新たに、描かざるを得なかったとのことです。「どうすれば、無くならないないでしょうか」と役人に聞かれ、 | ||||||||
「額に入れ壁にかけとけば、無くさないですよ」と言われ、市役所で実行しているようです。 | ||||||||